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意思決定の権利は相手に握らせる

利用者が自身で決断してそれを実行することはもちろん困難なこともある。そんな時にこちらからの促しが必要なわけだが、正解を提示しすぎて意思決定権をこちらが握ることになってもいけない。そうなってしまうと、指導の領域に入ってしまい、対象者が自ら決断して考えるという意識から遠ざけてしまうことになる可能性が生じてくる。



子供の遊び風景を想像してみる。

親が優先的に行わせてしまう行事などでは、子供が萎縮しがちな場面をよく見かける。例えば初めての自転車に乗る練習での風景だ。親からすると自分の経験や周りの子供の様子などから何歳になったら自転車に乗れるようにならないと!と慌てたように子供に教えを始めるわけだが子供からしたらなんとことかさっぱりで、嫌だなぁと思っても親の言われた通りにやるしかない。

幸いなことにさほど困難な試練でも無いため、何回か練習を重ねると乗れるようになるのだが、これは指導による反復練習に過ぎず、本人の決断に基づく習得にはなっていないのだ。だからどうなんだという話になるかもしれないが、物事の教わり方というのは、あまり議論にされることが少ないのだが、様々なパターンが存在しておりどの分野においても、自分で考えてそして決断して習得することがその後の発展への重要な要素になるのだと考える。

そのために親がする選択肢は、子供の意思決定を促すために最低限に必要な物品の準備、自転車に対するおおよその知識や操作方法を教えることになる。


正解と自分で考えされるための知識の提供の境界線は超えないようにするのが鉄則になる。


続く

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