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「自分にないとてもきれいなものを見ると、人は涙する」


僕は昨日ふとこの言葉が心から流れるように出てしまった。
なぜ、こんな言葉が出てきてしまったかというと僕の過去に起因する。
まずは僕の過去について語らしてほしい。


僕は産まれてこの方友達というものが出来たためしがない。
小学校のころ仲良くしていた人たち、中学校のころ仲良くしていた人たち、高校のころ仲良くしていた人たち、大学生となって仲良くしていた人たち、誰とも連絡をとっていないのだ。

それなりに仲良くしていた自信はある。一緒に夏祭りに行ったり、放課後に家でゲームをしてバカ騒ぎやったり、麻雀を打ちながら女性について語ったり。

僕の中で思い出だけは鮮明に残るが、新たに思い出を作っていこうという友人が誰一人としていないのだ。
もちろん寂しくはある。でも人間そんなものだよなと思い込むようにしていた。寂しさや虚しさを隠すために、自分自身に言い訳を続けていた。


でも昨日、その言い訳をしている自分がどうも情けなく見えてしまったのだ。

それはあまりにも美しい友情を見たためである。お互いが尊敬し合い、そこに打算的な考えなど入る余地もなく、愛情すらも感じ取れる友情を見てしまったのだ。
そして、言い訳を続けている自分と同調していた僕が、羨ましいと思ってしまったのである。

なら友達を作ればいい。人は簡単に言うだろう。でもそんな簡単なものじゃないのだ。
22年間生きてきて、機会に恵まれながらも作ることの出来なかったものが簡単に見つかるわけがないという諦めの気持ち。
人間に美しい友情なんか存在しないと言い訳を続ける自分。
もし出来なかったらどうしようという恐怖。

でもそんなネガティブな気持ちをはるかに凌駕する羨ましいという気持ち。
そういった感情を言葉にした結果、
「自分にないとてもきれいなものをみると、人は涙する。」
という言葉が出てきて、涙がこぼれたのだろう。

これから僕は友達が出来るのだろうか。もうすぐ春が来る。
友達が作るのはまだ遅くないかもしれない。自分はそう言ってる気がする。
春が始まる前に、あなたたちの美しい友情を教えてもらって良かった。
ありがとう。

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