英語はなぜ難しいか? (文法編に入る前に)
「英語ペラペラ(私自身がまだペラペだが😅)」「英語をmother toungue speakerのように使いこなす」ことを目標に、英語の「音声・リズム」について説明した、「英語はなぜ難しいか? 音声編」。
おかげさまで、大好評(?)だった。読者の皆さんには、改めて感謝する😁。
次回記事から、「使うことを目的にした英文法」を説明する。題して、「英語はなぜ難しいか? 文法編」だ。
・・・。
ソコ、「そのまんまじゃん」とかツッコまない‼️
日本の英語教育の唯一の「評価点」として挙げられる文法だが、私は文法の捉え方・伝え方に改善の余地があると考えている。
次回以降、くまりん19流の英文法を紹介する訳だが、本記事では前提となるマインド、習得しておくべき技術を確認しておく。
ここまで私の記事を読んで頂いている愛読者の皆さんには、最早「常識」となっているだろうが、ここで自身の定着度をチェックしてみてほしい。
「くまりん19の記事を読むのは、今回が初めて😍😍😍😍」という方には、本記事はここまでの総復習であることを念頭において挑戦して頂きたい。ところどころ過去記事も貼っておくので、そちらも参考にしてほしい。
今回は要約はナシだ。各項目について、自分が腹の底から理解しているかどうか確認すること。次回以降の記事では、ここまでの内容を理解していることを前提にするので、「怪しいな😰」と感じる人は、ここでしっかり復習しよう。
Are you ready? Then, let's get started.
・英語は日本語とは全く異なる言語
ユーラシア大陸をはさみ、共にガラパゴス島国であるイギリスと日本。そこには様々な言語が流れ込み、元々あった言語と訳の分からない融合をしてカオスが生まれる。イメージとしては、「西洋のガラパゴス言語が英語、東洋のガラパゴス言語が日本語」である。
性質が大きく異なる両言語をマスターするには、耐え難い苦痛と長い練習が必要になる。そのこと自体は仕方ないので、素直に認めることが重要である。というか、言語習得に必要なのは「素直さ」と「練習」だけだと言っても過言ではない。様々な理論があるのはイイのだが、かつての日本の言語教育は「練習しない言い訳」を生み出す結果となった。
・そもそも、教える側が英語を使えていない
英語教育を取り巻く環境が大きく変化し、現代の若者達が英語の音声にシンクロしているのに対して、オジサン世代はそもそも英語を「言語として使う」意識がない。
結果として、「教える側よりも教わる側の方が英語力が高い」という現象が当たり前のように起きている。本来、取り立ててアレコレ言うことではないのだが、日本社会の「立場が上だから実力も上」のような謎の認識が邪魔をして、生徒の方が実力が上であることを素直に認められない。
特に「私教える人、君教わる人」という一方的な授業形式では、「生徒の方が英語ができる」は教える側にとっては死活問題であり、全力で否定せざるをえない。
貴方が英語の教師・講師であるならば、「英語をできるようになりたい」のか、「英語をできるふりを続けたい」のか、ハッキリさせるべきだ。もちろん、私の記事は前者に該当する人達のためにある。
・英語は日本語話者にとって不愉快
ヨーロッパ言語の音声は、日本語とは周波帯が異なる。単純に「音」として捉えた時に、日本語話者(特に男性)には不快に感じられることが多い。英語を使えるようになるには英語に触れ続けるしかないのに、そもそも触れるのが嫌 ↓ なのだから話が始まっていない。
ここにさらに、「英語ができるのは頭がイイ証拠」「英語ができないと周りから思われたくない」「でも、実際に英語を使うのは恥ずかしい」などなど、様々な思惑が絡むことになる。「話したいから英語を話す」という単純極まりない理由が、English speakerでない人達にすんなり受け入れられることはまず考えられず(あくまで私の経験だ😅)、謎の言葉を浴びせられる。詳しく知りたい人はコチラ ↓。
事程左様に、ガラパゴス日本のオジサン世代に染みついた「英語嫌い」は根強い。貴方が私と同様にオジサン世代だとするならば、周りの英語環境を思い浮かべてほしい。もし自分が英語をペラペラ話すようになったとしたら、他の人達は素直に祝福してくれるだろうか? そのイメージが湧かないならば、貴方が英語習得に一歩を踏み出せない原因の1つに環境が挙げられる。
挑戦が認められない環境、英語を話す人間が認められない環境で、孤独に英語習得の道を歩くのは辛過ぎる。私は10年間5000時間かけて「実用英語」を習得したが、普段勤務している塾に複数のEnglish speakerがいることは、本当に恵まれていると思う。
直接の環境を変えなくても、SNSなどを通じて自分を応援してくれる人と容易につながれる時代である。「英語が不快」「でもできるようになりたい」と強く思うならば、実際にその道を歩いた先輩(私はまだ2年目だけどな😝)の言葉に耳を傾けるべきであって、周囲の「英語ができないガラパゴス日本のオジサン世代」に流されないようにしたい。
・言語習得には大きな個人差がある
いわゆる「言語センス」は確実に存在する。特定の表現を覚えるまでの速度、練習する際の集中力は、個人の資質に大きく依存する。
他の学習にも当てはまることだが、特に言語習得においては個人差が大きい。それなのに、日本の教育ではどうしても「年齢」「学年」が意識されてしまうため、「△年生なのに◯◯ができない」「あの子は△歳で◯◯。それに比べてあなたは〜」という発言を耳にしてしまう。
このような言葉には一切耳を貸さず、「自分が」「できるようになるまで」「続ける」というマインドをもつことが大切だ。ダラダラしか続けられないならダラダラ続ける、100回練習して覚えられないなら101回目に挑戦する、10年かかるなら10年かける。もちろん、途中で諦めるのも問題ナシ。というか、どこかで諦めるタイミングがくるはずだ。諦めたってイイ、止めなければ。いつか気が向いたら、練習を再開すればイイだけの話だ。
・言語習得は「音楽」「スポーツ」「料理」
楽器の仕組みを細かく理解することは、その楽器を演奏できることには直結しない。水泳の基本をいくら地上で練習しても、実際に水の中に入らなければ泳げるようにならない。レシピをどんなに丁寧に説明されても、料理は作ってみなければ分からない。かつての日本の英語教育は、上記のような指導をしていたと考える。私が「評論家育成」だと評する所以だ。
そうではなく、山のように失敗し、修正しながら練習を続けることによってのみ、言語は習得できる。私は英会話教室に通ったことがないが、「英会話教室に通うだけでは、英語を話せるようにならない」ということは理解できる(多くの人がそう言っているし🤗)。料理を作ろうとしなければ、料理を作れるようにはならないのである。
そもそも、言語は音楽から始まった。その証拠に、文字をもたない言語は存在しても、音楽をもたない言語は存在しないのである。英語を「勉強」ではなく、「音楽」として捉える。音声やリズムを実際に歌いながら身につける ↓ 。これが言語習得の王道なのである。
・「日本人英語」はEnglishではない
よく比較される「インド人英語」↓ は、確かに「キレイな英語」とは言い難い。
だが、間違いなく何を言っているのか分かる。
これに対して、いわゆる「日本人英語」はEnglish speakerにとっては英語ではない。何を言っているのか分からないというよりも、聞く気になれない ↓ のだ。音声やリズムを共有できないということは、言語を共有できないことを意味する。
なぜ、特定の言語の構造や使い方を学ぶのか? もちろん、それはその言語を使うためだ。ところが、かつての日本の英語教育は、そもそもの前提が崩れているのだから、学ぼう・身につけようと思えない。いくら細かい理屈を述べても無駄である。全ては実際に英語を使うため。次回以降の「文法編」は、使うための英文法を紹介する(シツコクてすみません🙇♂️🙇♂️)。
・音声にシンクロしてから文字を見る
言語はまず音声として脳内に響いているのだから、音声から始めるのが自然かつ効率的である。母語である日本語の習得過程を考えれば分かるハズなのだが、何しろ英語のテストは文字をベースにしているため、ガラパゴス日本のオジサン世代は英語の音声が極めて苦手である(もちろん、かつての私にも当てはまる😭😭)。
一度苦手意識を抱いたものに年齢を重ねてから挑戦するのは、大きな心理的負担を伴う。結局、言い訳の数が増えるだけでいつまで経っても音声練習を始められない。この悪循環を断ち切るためには強引な方法が要求される ↓ が、普通は無理である。
・・・。結論。素直に音声から始めておけ😝。英語を話せるようになったとき、私が痛烈に感じたのがこれだ。現在の私は20ヵ国語にシンクロしているが、素直に音声練習をした結果であるのは言うまでもない。その後に文字を読むから、様々な表現を覚えられるのである。
次回以降の「文法編」は、読者が英語の音声にシンクロしていることを前提に書く。
・listening練習はspeaking練習と表裏一体
「聞こえる音声は口から出せる」「口から出せる音声は聞こえる」という単純な理屈 ↓ なのだが、listeningテストはあってもspeakingテストは少ないガラパゴス日本においては、なかなか受け入れられない。
まぁ、ここまで本記事を読んだ貴方ならば、私の言いたいことは分かるだろう。聞く・話す・読む・書く、4技能全て揃ってこその言語である。あらゆる言語の使い方を練習する。そのための貴重なツールとして文法が存在する。この順番を間違えないようお願いする。
・音声練習で重要なのは「口の使い方」
使用している音声が異なっているということは、音声の出し方に大きな違いがあるということである。具体的には、「息の出し方」「舌の動き」「口の形」が、日本語と英語では大きく異なっている。
英語の音声を使いこなすということは、口の使い方が英語に同化しているということである。とくに日本語話者が注意すべきは「舌の動き」であり、そのためには ↓ の方の記事が大いに参考になる。
個々に英語の音声を捉えるのではなく舌の形を変えるという指導法は、目から鱗としか言いようがない。私はできるようになってからこの方の記事に出会った😭😭が、まだ英語の音声にシンクロできていない読者は、是非とも参考にしてほしい。
・音声練習にはカラオケが有効
恥ずかしがるな、歌え‼️
「そんなのは勉強じゃない」などと言っている間は、英語を使いこなせるようにはならない。課題曲はこれ ↓ だ!
口パクでいいから真似してみる。それらしく真似して歌ってみる。そこから始めよう。
「音声にシンクロする」は、頭で考えてどうこうなる問題ではない。実践あるのみ!
・音の変化を練習する
上級者向けだが、英語の音声を身につけるためには避けて通れない。ガッツリ練習したい人は、以下の動画を見ること。
・英語を英語のまま理解する
いわゆる「和訳」をしていると、日本語基準で英語を捉えるクセがついてしまう。ともに「ガラパゴス言語」である英語と日本語は、様々な面で大きく性質が異なる。ガチで英語にシンクロするためには、一時的に日本語を捨てるくらいの覚悟が必要だ。実際、English speakerとして覚醒した直後の私は、しばらく日本語が上手く話せなかった。興味がある方は ↓ コチラも参考にされたい。
次回以降の文法編では、必要に応じて和訳を載せるが、基本的には英文を読んで「言いたいこと」が分かれば良いのであって、「日本語に直さないと理解したことにならない」という思い込みは捨ててほしい。
特に(今さらする人はいないとは思うが)、日本語の順番になるように英語を読む「返り訳」は絶対にやめること。なお、いまだに返り訳をしているのが「漢文」であり、そのための記号が「返り点」😱である。私は漢文と英語をセットで教えているが、こういう背景がある。
・接触回数を増やす
アレコレ言い訳せずに、毎日英語に触れること。言語習得の王道は、その言語に触れ続けることである。毎日英語の音声を聞く、自分の口から出す、英文を読む、自分で英文を書いてみる(日記など)。これを10年続けて英語ができるようにならなかったら、私が責任をとる😝。
「10年は長過ぎる」という人は、日々の接触時間を増やすしかない。あくまでもイメージだが、合計5000時間触れれば言語はある程度身につく。ただし、「その言語に触れる(日本語を介さない)」時間だということをお忘れなく。日本の英語の授業は、英語に触れている時間が短過ぎる。私が和訳を否定するのは、ここにも理由がある。
それでは、次回「英語はなぜ難しいか? 文法編」でお会いしよう。La revedere!
最大の敵は自分
最大の味方も自分
マジで神曲😍😍