【法学部の講義】人権もインフレ化⁉
プライバシー権、知る権利、肖像権。これらは全て大変重要な権利です。しかし、どれも憲法に直接定められていません。どうして憲法で直接定められていないのでしょうか。
答えは憲法制定当時にはこれらの権利が想定されていなかったからです。情報化社会になった現代でこそ、SNSが発達し、プライバシーや肖像権の重要性が叫ばれていますが、当時はそれほどではなかったのです。知る権利も同様です。こういった権利を「新しい人権」と呼びます。
そうすると、個人の尊厳や幸福追求権を定める憲法13条を根拠にさまざまな権利を導き出せそうに思えます。例えば、私は課題が任意提出制になることが「幸福」なので、宿題をやらない自由という権利を13条を根拠に主張したとします。しかしながら、どんな権利でも13条を根拠に認められてもよいのでしょうか。
当たり前ですが、たとえ13条が存在するからといっていかなる権利も認められるわけにはいきません。しかしながら、ひねくれた人にはこう聞かれます。「なんでそう思うの?」と。
法律学では根拠(理由)なしに何かを主張することはできません。では、13条があるからといっていかなる権利でも認められるわけではないと主張するために、どんな理由が考えられるでしょうか。
1つは「人権のインフレ化」です。なんでもかんでも人権として認められると人権の数が増加し、1つ1つの人権の価値は相対的に低下します。もし私の宿題をやらない自由のようなしょうもない権利ばかり増えていくと、それによって、学問の自由といったまともな権利の価値まで下がりかねないのです。
また、「人権同士の衝突」も理由に挙げられます。例えば、新しい人権たる肖像権は表現の自由(憲法21条1項)と衝突します。ユーチューブでの動画投稿による表現の自由と自分の容姿をみだりに撮影されない肖像権が衝突するわけです。このように、人権が増えることで無用な衝突が増えかねないというのも理由になると思います。
さらに、権利といえども保護される度合いに各々違いがあります。例として、具体的権利と抽象的権利を挙げます。「具体的権利」とは、その権利を具現化する法律なしに訴訟できる権利をいいます。こちらが多くの方が想像する権利像だと思います。それに対して、「抽象的権利」とは、その権利を具現化する法律なしには訴訟できない権利をいいます。
具体例を挙げて説明しますと、私の宿題をやらない自由が抽象的権利だとしたら、宿題任意提出法なるものが立法されない限り、宿題提出を強制されたとしても、宿題をやらない自由という権利のみでは、宿題提出を拒否できないわけです。
このように、権利ひとつ取っても様々な論題があるわけです。近年社会は再び大きく変化しており、それに応じてまた新たな権利が主張されるようになるかもしれません。どの権利は認めて、どの権利は認めないか。単純そうですごく難しい問題だと思います。
参考:「18歳からはじめる憲法」(法律文化社、第2版)水島朝穂
*これは学部生が執筆した記事です。
専門的な助言を与えるものではありません。
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はじめに
第2回
加筆修正:2022/12/02 今回のキーワード追加、その他誤字・脱字