2月の勝者 〜息子と母と中学受験と〜
参加しているコミュニティで、子供の中学受験の経験談をお話しする機会をもらった。
うちの息子たちが受験をしたのは、もう10年ほど昔のお話。
それでも、あの頃のあんなことこんなことが蘇り、胸が苦しくなった。
なんの役に立つかはわからない。
でも、いま子供の中学受験に向き合っているお母さんたちが少し未来のことを想像して、このストレスフルな日々を前向きに過ごせたら、という思いを込めて、ちょっと熱かったわたしの経験談を書いておく。
「父親の経済力と母親の狂気」
時を同じくして、中学受験をテーマにした「二月の勝者」という漫画が原作のTVドラマが放映された。
「君たちが合格できたのは、父親の『経済力』、そして母親の『狂気』」
これはその漫画の冒頭のセリフだ。
煽り気味のその言葉に、経験者であるわたしは、あの頃言ってしまった言葉、言えなかった言葉を思い出して身震いした。
脅かすつもりはないけれど、まさにあの時は、「狂気」というのに相応しかったかもしれない。悪い意味だけではない。我を失うほど一生懸命だったのだ。
たかが子供の受験というなかれ。
あの頃はじめて、「子供を教育する」ということについて思い悩み、たくさんの喧嘩やたくさんの挫折、たくさんの感動を味わった。
子供も成長したが、母としてのわたしもぐんと成長する経験だった。
中学受験を決めた訳
わたしは、自分自身も数十年前に中学受験をしている。
自分自身の受験の思い出は、割と楽しいものだ。
生まれて初めて、自分の中で知識と知識が結びついていくのを実感した時期だった。もちろん合否に関しての怖さはあったけれど、昨日知らなかったことが分かるようになるワクワク感の方が印象に残っている。
自分の子供たちにも中学入学の段階で受験させようと思ったのは、自分の経験からきている。
息子たちの受験を決めた理由は主に3つ
▶︎個性的な私立の教育方針が魅力的だった
▶︎6年間受験がない
▶︎家庭環境が似た友達が多い
つまり、18歳まではなるべくその子の個性に合った環境で、趣味なり勉強なり、好きなことをさせたい、というのが我が家の方針だった。
はっきり言ってしまうが、わたしは「学歴」は大事だと思っている。それが全てではないとしても。
親が支援でき、本人の努力次第である程度のものは手に入る、その子にとっての武器の一つになると思っているからだ。
一方、ティーンの間に自分の好きなことを見つけて欲しい。語れるほどの趣味を身につけて欲しい、というのがわたしの希望で、今も変わらずそう思っている。
中学受験:長男の場合
長男は物心ついた頃からマイペースな「スペシャリストタイプ」だった。
視野が狭く、自分の興味を持ったことしか考えることをしない。
小学校でもみんなと仲良くなんて無理で、いつも一人で本を読んでいるような子だった。ただし、得意分野に関しては大人も舌を巻くほどの知識欲を発揮する。
いわゆるオタク気質だ。
彼がハマったのは「クルマ」だった。
近所に存在する車の型式を全て暗記し、雑誌やインターネットで新車情報を調べるのが至福の時間だった。一方、6年間で覚えた友達の名前は、5名分程度だった。
元来の平和主義な性格とのび太くん的愛嬌で、酷くいじめに遭うことはなかった。
けれど、母は心底心配した。
何としてでも、彼の個性を邪魔せず伸ばしてくれるような中学に入学させたいと願った。
そんな理由で、長男が4年生になるのと同時に塾通いが始まり、わたしは学校研究が趣味になった。
とにかく、学校説明会や文化祭などに通って、いろんな学校を見るのが楽しかった。このご時世、偏差値の高さだけではなく、独自性を打ち出して勝負する学校が多いように思えた。実際に受験はしなくても、息子たちを通わせてみたいと魅力を感じる学校や教育者の方にたくさん出会えた。
そして、やってみて分かったのだが、長男は「受験向き」の子だった。
「もっと上にいける!」とわたしが鼻息荒く勘違いしちゃうほどに。
わたしが思う、受験向きの子の定義は以下の通りだ。(あくまでも私見です)
▶︎地頭の良い子(これは最強)
▶︎精神年齢が高い子(やりたい事とやるべき事を分けて考えられる)
▶︎目的がある子
▶︎素直な子
残念ながら地頭の良さは普通だったが、わたしの学校研究の成果もあり、長男は早い時期から第一志望校を決めていた。
東京の男子校で、電車や車、船や飛行機など乗り物を「作る」部活がある学校だ。
目的が決まると、やるべきことが見えてくる。
そして長男は、とにかく素直だった。
宿題は必ずやったし、暗記するよう言われたことは全て覚えた。
目標の学校に入学するために、今まで車の名前を覚えることにのみ使用していた無尽蔵の記憶力を、見事に学習に転換することを覚えた。
彼は真っ直ぐに志望校に向かって努力し、合格を勝ち取った。
その後6年間、憧れの部活で自分と同じような趣味を持つ友人や先生に出会い、ますます自分の好きなことしかしなくなった。
大学では体育会系自動車部に所属し、昨春、自動車部品メーカーに就職した。
中学受験:次男の場合
3歳違いの次男は、長男とは全く違うタイプ。
幼稚園でも小学校でも、常に周りに取り巻きがいるような子だった。
気働きのできるお調子者の「ジェネラリストタイプ」。
2番目以降の子供には多いタイプかもしれない。
サッカーが好きで、幼稚園の頃からクラブチームに所属していた。
4年生になって塾に通い始めても、サッカーは続けたい、と言うのでそうさせた。
結局6年生の春までは、週3回塾で週3回サッカー、土日のどちらかは試合、というハードスケジュール。よくやったよ、本人もわたしも。
とはいえ、残念ながら次男は「受験向き」ではなかった。
その子の能力の一つに過ぎないと分かっていても、兄弟を比べてその差を確認するのは、親としてとても辛いことだ。
わたしは、最後までその事実を受け入れることができなかったように思う。
器用な子だったので、逆に、これがなくてはならない、という志望校への強いモチベーションを探し出せなかった。
サッカー部があって家から近い、という全く絞り込めない条件で学校探しをした。
サッカーと勉強を両立させたのも、裏目だったかもしれない。
どちらも楽しそうにやっていたが、どちらにも真剣になることができなかった。
最後まで、受験を自分ごととして捉えることができなかったんだと思う。
夏休みも終わり、本番が迫った11月末に、真面目に勉強しない次男をキレ気味に問い詰めた。受験する気があるのかどうか。
「ママのために受験するよ。」
その一言に、わたしは文字通り「狂った」。
それまで10年間勤めた仕事を、一時期休むことを決めた。
塾の先生と何度も面談し、受験する学校について話し合った。
本人と話をして、勉強時間を中心とした生活リズムを守れるよう管理した。
何が何でも、わたしの力で次男の合格を勝ち取ろうと奔走した。
それが、母親の勤めだと信じて疑わなかった。
その信念を後押ししたのは、これが2度目の受験だから、というのもある。
長男のときの課題を改善して、2度目はもっと上手くできるはずだと思っていたのだ。
ただ、わたしは完全に勘違いしていた。
受験したのはわたしではない。
1度目も今回も。
それでも次男は最後まで受験を続け、いくつかの不合格と共に合格を勝ち取った。
私立の男子校に進学し、一浪して大学生になった。今でもサッカーは続けている。
最近興味があるのはファッションで、バイトを楽しんでいる。
いつか留学したいと口にするようになった。
父の立ち位置
家庭内にこんな嵐が吹き荒れている中で、彼らの父親は何をしていたのか?
先のキャッチコピーにあった通り、我が家の受験を経済面で支えたのは彼だった。
いうまでもなく、塾に通うのにはお金がかかる。
実際に願書を出して受験するのにもお金がかかる。
その時は必死すぎて、お金をかければかけるほど合格の確率が上がるように錯覚してしまうが、そんなはずはない。
冷静に自分たちの身の丈にあった計画を立てるのが彼の役目だった。
とはいえ、実際に行動計画を立てて勉強を促し、子供達に寄り添い叱咤激励したのはわたしだ。そこはワンオペだった。
順調に見えた長男も、本番1週間前には気持ちが不安定になり、寝る前に涙ぐむこともあった。
彼を抱きしめて、今までどれだけ彼が頑張ってきたのかを話して安心させた。
そんな時、夫は何をしていたのか?
あの頃は仕事の付き合いも多く、夜中、泥酔してお風呂で寝ていることもしょっちゅうだった。
子供たちを合格させるのはわたしの役目だと思っていた。
それでも、この行いは我慢できなかった。
湯船に沈めてやろうと何度も思った。本気で。
その時は、息子たちの顔を思い浮かべてぐっと思いとどまった。
しかし、次男の時。
2月を迎え、最初の「不合格」を受け取ったところから、すでに狂っていたわたしはうまく機能しなくなった。まだ何日か受験のスケジュールは残っていた。
そこで、無関心に見えた夫が休みを取った。
残りの受験には夫が付き添い、合否の結果を確認したのも彼だった。
あの時、生かしておいて、本当によかった(笑)
母の学び
息子たちの受験を通してわたしが気づいたのは、「待つ」ことの大切さだ。
受験のスケジュールは6年生の2月と決まっているが、全ての子どもがそこまでに目標に達することができるわけではない。もっと言えば、「受験生」のマインドを身につけられるわけでもないのだ。
もっともっと、褒めてあげればよかったと思う。
最後までやり抜いたことの尊さをもっと本人に知らせてあげればよかった。
受験というリミットに間に合わなかったとしても、努力した時間は間違いなくその子を最高に成長させ、次にくる試練に自分の力で立ち向かうための下地になった。
あれから10年が経ち、つくづく実感するのは、中学受験は次へのステップでしかない。
一回の成功体験で慢心しないように、一回の失敗体験で自分の全てを否定しないように導くのは、側にいる大人の役目だと思う。
母の言い訳
年末に、たまたま兄弟がどっちも家にいて、彼らに何かの話をしていた(たぶん、ちょっと説教じみたことを言っていた)際に、
「あなた、どんだけ俺らのこと大好きなの。」
と呆れ気味に言われた。
まあ、つまりそういうこと。
あの時わたしが狂った理由は、ただそれを伝えたかったからなのよ。きっと。
許してくれとは思わないけど、それが伝わっていたならよかったな。
首都圏は2月から。その他の地域では1月からいよいよ中学受験が始まる。
受験生が自分の力を信じ、精一杯力を発揮できますように。
それを見守る母たちが心穏やかに、彼らの成長を待てますように。
そして、サクラ咲ケ!