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教師という職業に魅了され、病に侵され

うつ病になって教師を辞めた男の話④

教員採用試験を受からなかった僕は、臨時でも教師の仕事が続けられるなら、と、契約期限付きの臨時教諭や非常勤講師を続け、途中うつになり仕事を変え、また教師の仕事に戻り、またうつになり辞め、ということを何度も繰り返すことになりました。

結局、教師という仕事の魅力に取りつかれていたのは間違いありません。
どんどん成長していく子どもたちの魅力に取りつかれていたのかもしれません。

結構天職だと思っていたんです。
どこに行っても子どもたちとは楽しく過ごせていたし、大人になっても連絡をくれる子もいるし(自画自賛するな)。
でも、僕の精神は教師には向いていなかったみたいで。

今回は、僕の簡単な職歴の流れを書きます。とりあえずどんな状態だったかを、ざっと。

採用試験を落ちた僕は、大学を卒業し、しばらくアルバイトをしながら登録した自分の県市の教育委員会から連絡が来るのを待っていました。

まず来たのが、病気休暇の先生の代わりの臨時教諭、1か月間です。
特別支援学校でした。まだこの頃は養護学校でしたが(年がばれる)。
あっという間に1か月は過ぎました。楽しかったなぁ。

秋からは半年間の非常勤講師の話が。
高校で、授業を2人の先生で見るという、TT(チームティーチング)の役目で呼ばれました。授業の補佐教師ですね。
初めて授業もやらせてもらったり、各先生方のいろんな話を聞かせてもらったり。これまた楽しかった。

4月から中学校で1年間の非常勤講師の話がきました。
これまたTTで、主をやったり補佐をやったりしました。
この辺から、やっと教師としての自覚が出てきます。
教師としていろいろ考え(悩み)始めたころですね。でもまだ楽しかった。

また中学校で1年間の、今度は臨時教諭(臨時採用「臨採」とよく呼ばれるので、今後は「臨採」と記述します)の話が来ました。
しかも担任でした。
臨時教諭でも担任をするんです。
あとから親に言われましたが、この時の僕は目が死んでいたそうです。
ここからやばかった。でもこの時の子で今でも連絡をくれる子もいます。

精神的にやばかったので次の年は自ら非常勤(授業だけ行くだけでいいから)の話を受けました。
臨採の話も来てたのに。臨採は保険も、ボーナスもあるのに。
断って、高校の非常勤をしました。
断ったのに非常勤の話が来たのはありがたかったですね。
この時にはもう吐くことがありました。

次の年からは吐きながら仕事が当たり前でした。
奇跡的に2年間、臨採で、持ち上がりで担任をやらせてもらいました。
吐きながら笑

次の年、1年間の臨採の話が来て働きましたが、途中で精神がもたなくて辞めてしまいました。
不登校になってしまいまして。このときにはまだ精神科医にもかかってませんでしたが、もうこれまでの積み重なったものが学校から僕を遠ざけましたね。

この年の秋から、3年半くらい営業の仕事をしてました。
でも営業も僕には合ってなくて(わがまま)、最後のほうはやっぱり吐いてましたね。だいぶ良くなってたんですがね。

飲食の仕事を数か月やって、飲食店には高校生のバイトの子が何人もいて、その子たちの進路の話とかを聞いていて、結局そういうことがしたいんだな、と思って、教育委員会に連絡しました。
教師の仕事をください、と。

約4年ぶりに、病気休暇の先生の代わりに臨採の仕事を5か月ほどやりました。
次の年も、1年間の臨採の仕事を。
多分この年が、僕の教師人生で、1番至福だったような気がします。
詳しくは、また。

次の年も1年間の臨採を。
この年には、少し病み始めてました。
やっと精神科に行きました。
「自律神経失調症」と診断されながら、何とか1年乗り切りました。

次の年も1年間の臨採の仕事をもらいましたが、1学期で辞めました。
初めて「うつ病」と診断されました。

2年くらい、派遣や障がい者施設、児童養護施設など、いろいろ経験しました。飲食もそうなんですが、「やってみたい」と思っていたことをいろいろやってみた、という感じです、僕の教員以外の職歴は。
おかげでいろんな経験をしてきました。

でも結局教師がやりたくて、また教育委員会に連絡します。
うつで辞めた僕に、3年間臨採の仕事は来ませんでした。
非常勤講師を3年やりました。
教育委員会に行った時も、「1年働けるの?」的な空気がありました。
まぁ仕方ない。
保険も、社会保障もない非常勤講師を、アルバイトをやりながら続けました。

こないだ、飲食店でご飯を食べてたら、この時の子どもが「先生ですよね?」と声をかけてくれました。
ありがたい話です、本当に。

そのあと、1年間の臨採の仕事が来ました。
臨採でしたが、国語の仕事はありませんでした。
やっぱりまだ信用はされていません。
でも、1年間の臨採はありがたかったです。
初めて、特別支援学級の担任をしました。楽しかったです。
ですが、ちょっと休みました。

次の年、1年間の国語の臨採の話が来ました。
休みながら、何とかこなしました。

次の年、去年ですね。
休みながら働いていた僕には、
「国語は先生にはありません。特支の担任をやってください」と言われました。
長年の経験ですが、たぶん、国語の臨採の話は、あったと思います。
でも、休み休みの僕には、なかったんだと思います。
特支の担任を、約半年で辞めました。
診断としては、2度目の「うつ病」でした。

僕の職歴は、こんな感じです。
教師には、ものすごい魅力があります。
その辺も、また書きたいです。
精神病には、波があります。
中には、本当の意味では治らないという人もいるらしいです。
僕は、たぶんその、治らないほうなんだと思います。
何年かすると、それまで積み重ねたものが表に出てくる感じです。
その辺も、また書きます。

今苦しんでいる人がいたら、話を聞きたいです。
今、周りに苦しんでいる人がいたら、教えてあげたい、教えてあげてほしいです。
無理をしたら、尾を引くと。
長引いて、結局自分を苦しめると。

また書きます。

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