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「アフターサン」を観て

このnoteを始めた頃はキッズインシネマのスタートへの道を辿ればよかったので
書くネタには困らなかったが、キッズインシネマがスタートしてからは
本当に筆が進まなくなり、今久しぶりにnoteを書いている次第です。
2日に一遍とかまでは言わなくても、せめて1週間に一度は書かなくてはいけないかなと思いました。1週間にあったことを振り返りながらつらつらとnoteに書いていく。そんな習慣になればいいかなと感じております。

さてという訳でこの1週間を振りかえり何を書こうかなということなんですけど
最近観た映画について書きます。
シャーロット・ウェルズ監督「アフターサン」です。
11歳の夏休み。思春期のソフィーは離れて暮らす31歳の父親とトルコの鄙びたリゾート地にやってくる。眩しい太陽のもと、2人のの親密な時間をホームビデオの映像を織り交ぜながら描いていく作品です。

観終わった後にはなんとも切ない気持ちが残りました。
ネタバレになってしまいますが、眩い太陽のもと、親密な時間を過ごした父と娘。
でもこれを最後に2人は会っていない。暗に自殺をしたんだなということが暗示のように作品の随所にちらばっています。
だからこそとてつもなく辛かったですね。
生きている人に会いにいくことは簡単です
それは単に自分で勇気を持てばいいだけのことであり
でも亡くなった人へは勇気を持っても会いにいくことはできません
亡くなったからこそ美化する部分があり、余計に故人への思いを募らせるということもありますが、一概には言えないかなと思います。
要は生きている間にどれだけ2人の関係や時間を過ごしてきたのかということが思いの尺度を決めるのかなと

先日父の日に10歳の娘が手紙をくれました
その手紙にはこう書いてありました
「パパへいつも一緒に遊んでくれたり、ママがいない時ごはんを作ってくれたり
いつもありがとう!!いつまでもは無理だけど長生きしてね」
娘からの手紙は今までたくさんもらいましたが、長生きしてねという言葉は今回が初めてでした。妻への手紙にはそんな言葉は未だにありません。
つまり娘にとって50歳になる父親は永遠に若くはなく、やがて年をとり死んでいく
そんな生だけでなく死というものを感じたからこそ書いた文言だと私自身は思いました。

いつ訪れるかは誰にもわからない死
映画「アフターサン」のような親密な2人の時間
うちは息子もいるのでなかなか難しいとは思うけど
子供達が大人になった時、そしていつしか家族を持った時に
昔々の家族4人での思い出を懐かしく思う時がくると思う
そんな思い出をいまからたくさん作ってあげたいなとふとそう感じました。


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