ぺーぺー介護士の奮闘
介護士2年目でまだまだ甘ちゃんだが、「認知症だから」というだけで、あまりにも多くの当たり前が剥奪されているな、と思うことがある。
いやな事
たとえば認知症の方が「お風呂に入りたくない」と叫び拒否をするのを、車椅子にのせ風呂場へ連れていき、発狂するのをなだめながらシャワーをし洗身する。
これがもし認知症でない方だったら、嫌がる人を風呂場へ連行してシャワーをかけたりしないと思う。どうして今日は嫌なのかを聞いて、場合によってはその通りにお風呂を中止するだろう。
「おふろ」を理解するのが難しくて拒否が出る方も居るだろうけど、もしかしたら本当にお風呂が嫌なのかもしれないし、お風呂場でなにか嫌な出来事があったのかもしれないし、どこかの過程が苦手なのかもしれない。
それでも、「なぜ嫌なのか」をうまく伝えられなくて、お風呂場へ連れて行かされてしまう。
それって多分、心の中で「認知症があって理解が難しい方だから」があるからだと思う。実際そうなんだけども。
私はそれがすごく疑問で、だからこそ私は、認知症の方の「嫌だ」を大事に受け止めたい。
とはいえ全て「はい分かりました」と受け入れているのではサービスが成立しないし、その方の健康と安全のためにならないので、そういう意味ではなくて。
「いやだ」を言えない代わりに
よくお風呂場で、シャワーをかけると「いたい」と言う利用者さまがいらっしゃったことがある。
その方はどこも怪我なんてしていないし、痛くなるような姿勢でもない、お湯の温度も適切である。でもシャワーをかけると「痛い!」って大声を出される。
「はいはい」とか「痛くないですよ〜」って声掛けしながら流れるようにシャワーをして、叫んで疲れきったその方に服を着ていただいて、部屋へ戻るのがいつもの流れ。
それがすごく嫌で、でも新人だから変なこと言えなくて黙って見てた。
でもずっとずっと考えていて、あの「痛い」はその方なりの「やめて」だったんじゃないかと思う。
その方にとって唯一、咄嗟に言葉にして、行為を辞めてもらえる言葉が「痛い」だったんじゃないかなと。
その方にとって何が嫌だったのか、自分なりに観察して先輩に考えを伝えたり、入浴に当たった時に工夫を重ねたりした。
お風呂に車椅子を入れる向きを変えたり、シャワーヘッドにタオルを巻いてしぶきが掛からないようにしたり、シャンプーハットの提案をしたりなどなど。
もうしばらく、その方から「痛い」は聞いていない。
その方はいつもお風呂が終わると、「おおきに」とおっしゃってくださる。
拒否があった日でも、うまく入浴できた日でも、変わらず「おおきに」と笑顔でおっしゃってくださるのだ。
本当はお風呂が好きな方なんだと思う。
認知症であっても感情や習慣が失われる訳では無いし、たとえ相互理解が難しくても、薬の調整がうまくいかなくても、拒否の強い日があっても、その方はその方なりに常に心の内を発信してくださっているはず、だと信じたい。
その発信にきちんと気づいて、拾える介護士になりたいし、「いやだ」という意思表明を面倒に思わないで、「なぜ嫌なのか」を考えていける人間でありたいなと思う。