いまいる場所から 10
冬合宿参加を決めたのはよかったが、とくに「何を」というものが「何も」なかった。
合宿初日、ミーティングに参加しながらふと「いまいる場所から」という言葉が浮かびその場ですぐメモにして書き残した。
いまいる場所から(何が書けるのか)。いまいる場所から(何を書くのか)。そんなことを思いながらこの合宿を過ごすことにした。
書いたものはいつもの筋トレとさほど変わらないものかも知れない。わざわざ「合宿」のまとまった時間の中で書くことでもないものたちばかりかも知れない。
そんなことも思いながら「いまいる場所から」は、書かれた。
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先日、大谷さんが「『中動態の世界』ゼミその後」の中で書き残した文章のなかに「自己疎外」という言葉があった。ずっと僕のなかにある。いまもつづいて僕のなかにある。
どのようにして「自分」を書いていくのか。書けるのか。できるのか。できるとすればどうすればいいのか。
たぶんそんなことじゃないとおもう。そんなことじゃないというのは「どのようにして」でも、「書いていく」でも、「書けるのか」でも、「できるのか」でも、「できるとすればどうすればいいのか」でもないということだ。
問いがまちがっているんだ。問いそのものが。決定的に。
わからない。まったくわからない。たぶん問いも答えもそんなものはすべてないのかも知れない。いやわからない。それすらわからない。あるのかないのかすらわからない。
それでも気になる。それはつまりわからないということがわかってしまったからだ。
ぐるぐるそんなことを考えながら冬合宿の期間を費やした。そして書いた。僕にとってそれはとてもいい時間だった。意味なくよかった。そのことだけは最後に書いて、おきたかった。
終 684文字
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