山野カエル

継続すれど力はつけず。ただ書くことだけをしています。

山野カエル

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山野カエルの文章筋トレはじめ

筋トレするように文章を書いてみる。それが「文章筋トレ」というものらしい。友人が文章筋トレなるものをしているというのを昨年知った。彼の説明では「書くことと読むことが面白くなる。かもしれない。きっとそうに違いない。いや、どうかな。ま、やってみます。」とある。おもしろくなるならやってみよう。僕もはじめた。 文章筋トレ。そのようなタイトルで何かしら文章を書いてみたら、何とも気楽だ。それにケッコーおもしろい。身構えるような感じがなくなる(ような気がする)からかな。さていつまでつづくか

    • 我が家にコウモリが棲みついた(2)

      これまでのあらすじ 昭和38年に両親が建てた築60年の我が家で。ある日、二階の瓦屋根の上に生き物の糞らしきものを発見する。突然あらわれた夥しい数の黒い小さな糞。掃いても掃いても一晩のうちに何者かによって瓦屋根の上は糞だらけ。犯人は誰だ。二階の窓から身を乗り出し見まわす。二階屋根の軒下に生き物のようなものが。部屋にあった釣竿を長く伸ばして突っつくと飛び立った。犯人はコウモリだった。 ネットでコウモリの糞害をリサーチ 二階屋根の軒下から飛び立った一匹のコウモリを目撃した私は

      • 我が家にコウモリが棲みついた(1)

        ある日突然、大量の糞に驚く 我が家は昭和38年に両親が建てた。もうすぐ築60年という計算になる。幾度か増築したり改築したり瓦屋根を葺き替えたりはしているが本体は昭和の建物だ。とくに二階は昔のままで手を入れたことはなかった。 二階には三部屋ある。二畳の小部屋と四畳半、それに六畳だ。四畳半と六畳は、それぞれ娘と息子の勉強部屋だった。娘も息子も大学進学を機に、この家を出たきりだ。いま、娘の部屋は妻の物置になり息子の部屋は私の仕事部屋になっている。コロナをきっかけに俄然家にいるこ

        • 雨、扇風機、次に息子

          今朝は、オンラインの朝会に参加。1分で思いつくまま好きなものを書き出すことをした。 最初に書き出したのは雨。ちょうど外は雨が降ってたから。雨、嫌いじゃない。むしろ好きだ。好きなのは雨というより雨が降る音。遠い空から落ちてきて家の屋根や木の葉や地面にあたる音。あれだ。 次に書き出したのが扇風機。ちょうど好きなものを書き出している横で、静かに回っていた。風が心地よかった。 その次に、息子、娘、と続いた。いつもなら息子より娘の方が先に来るんじゃないかと思った。けど今朝は違った。とい

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        山野カエルの文章筋トレはじめ

          素直。

          明け方、家の前の電線に留まった鳥がピイチクピイチクと喧しい。時計をみるとまだ4時半。5時にもなっていない。しかし外はもう明るい。カーテンを開けて外の様子をうかがう。今日も暑そうな空。こうなってはもう寝られなくなりベッドを出てリビングへ。そこらじゅうすべてを開け放ち外気を誘い込む。太陽の熱はまだ届いていない冷たい外気を期待したがすでに生ぬるくなりはじめている。扇風機を強めにして身体にあてる。素直に涼しい。

          どんどん、ひとり

          濡れ衣を着せられた。これはいつか晴らさねばと思っている。だからいつか晴らすときが来るはず。それは必ず。それがいつどこでかわからない。でもいつか必ずきっと来るんだ。そのときまで。忘れなければいい。でもそれが心配。 人を傷つけてまでそんなことしたいのか私はしたくないと。傷つけるつもりなんかなかった。のに。傷ついたと。しかも当の本人じゃなく、傍で聞いてた、だけの男が、いう。当の本人は傷ついてないと。わけわからん。 あけましておめでとう。新年から、いつもの日記帳とは別に、もうひと

          どんどん、ひとり

          あの頃のこと

          彼女の右手は意外に小さくて薄っぺらだった。それにすごく冷たかった。ぎこちなさも信号を越えるたびにほぐれて。歩く早さなんかもはじめは気にかけてはいたけどそれもいつのまにか忘れていた。クリスマスが近づくとそんなことも思い出す。 たくさんの時間を使っては話し合ったけど本当のところはわからなかった。でもそれが知りたくて言葉を重ねた。ただ重ねても重ねても重ね切れることはなかったしそれができないこともなぜかどこかでわかっていた。でもそれでよかったんだしそれがよかったんだ。 僕の愛が足

          あの頃のこと

          夢から醒めて

          不思議な夢をみた。夢はいつも不思議。あの頃がよみがえる。とてもリアル。よみがえるというよりも夢の中ではあの頃にいたわけで。そもそも夢とはそういうもの。よみがえったというのはそれは目醒めてからのこと、後のこと。思い出してる。夢じゃなくてあの頃を。あの頃がいまはまるで夢のよう。もしかしたら夢だったんじゃないのか、とさえ思い出す。あの頃それ自体が。夢だとしたら。いまも夢の続きか。というより夢の中か。と思うとおもしろい。夢だとしたら辻褄などあわせなくてよいはず。夢ならそうだ。悩むこと

          夢から醒めて

          うそかまことか

          最近、立て続けに巨大ゴキブリが現れる。一昨日の夜も、だった。夜10時を過ぎて妻の叫び声。リビングからだ。続いて二階に居た僕を呼ぶ声。何ごとかと階段を走り降りた。すでに巨大ゴキブリは居ず。そこに居たのは炬燵に寝そべっていた背後から巨大ゴキブリが現れたと引き攣った顔で訴える妻だけだった。このあたりに入った。探して。強い口調で必死の形相で訴える。戸を開け、古新聞の束やら、昔の置物やら、手当たり次第にひっくり返してはみるが、巨大ゴキブリの姿なく。30分ぐらい。そんなこと付き合わされる

          うそかまことか

          ご機嫌さんと素人落語の関係

          ご機嫌さん状態。最近、落語仲間の木本さんがよく使っている言葉。これは演者の機嫌のよさ加減が落語の出来を左右するというもので、もとは僕が通っている落語教室の先生がよく言われている言葉です。 さてこのご機嫌さん状態とは一体何か。なぜそれが落語の出来栄えを左右するのか。このあたりについてどこまで書けるかわからんけど、ここでやってみよ。考えながら書いてみようと。 まず、ご機嫌さん状態とは、これはつまり機嫌がよい状態をさす。ご機嫌ななめの反対やね。いわゆるその上機嫌やねという心理状

          ご機嫌さんと素人落語の関係

          金木犀には気の毒だけど

          暗闇で金木犀の香りがして足を止める。たしかに金木犀だ。昼のそれとはずいぶん違う。けど金木犀だ。 何が違う。昼とは違う。少しきつい。そしてなんだかかなしい。たぶん気のせい。だろう。金木犀は金木犀。昼と同じ、裏庭の金木犀だ。 でももしかしたら。ひょっとしたら。昼の顔と夜の顔は違ったりして。だったらどうする。誰も知らない夜の金木犀。 ちょっと怖いかも。気位、高いかも。性格は陰険。選り好み激しくて。なんか嫌なヤツ。暗闇でもめっちゃ存在感あるぐらいだから。かも知れない。 234

          金木犀には気の毒だけど

          終点まで

          11月の雨でこびりついた枯れ葉を踏みしめて歩く背中は老人のそれだった。もう一枚羽織ってくればよかった。後悔したが引き返すつもりはなかった。 こんな時間にバスを待つ人間はいない。このままバスが来なければいつまでもここにいられるんだが。考えていたらバスが来た。仕方ないから乗る。他に乗客はいなかった。 行き先はなかった。いや終点まで。それが行き先だ。喫茶店。クリーニング屋。コンビニ。郵便局。高校生。ガソリンスタンド。老夫婦。自転車。ケーキ屋。銀行員。スーパー。主婦。みんな雨に濡

          わからないから、わからないへ

          何がわからない。どこがわからない。何がやどこがが出てくるにつれて、わかるところとわからないところがぼんやりと浮きあがってくる。それらがきっかけになって言葉がポツリまたポツリと出はじめる。次第に言葉が重なりはじめると対話が生まれる。対話はまた連鎖を生み次々言葉を連れてくる。それらをくりかえしているうちに、いつの間にか世界は動きはじめている。 西田幾多郎「善の研究」を読んでいます。オンライン読書会の形式です。月2回のペースで昨夜44回目を終えました。もうすぐ2年になります。まだ

          わからないから、わからないへ

          トンネルは県境にあった。

          トンネルは県境にあった。老朽化が激しく、数年前には壁面が崩落しニュースにもなった。それを機に新しいトンネルの建設ははじまっていたがまだできていない。 午後三時を少し過ぎた頃。トンネルに入った。娘夫婦の家まで届け物をした帰り。クルマはひとり運転していた。トンネルを通るたびに壁面が崩落したニュースを思い出す。胸騒ぎ。何もなければいいが。いつもそうおもう。薄暗い天井はいつも濡れていてドス黒いシミだらけ。壁からはいつも雫が流れ落ちている。一刻も早く通り抜けたい。アクセルを踏み込む。

          トンネルは県境にあった。

          虚しい。

          終わった。うまくいかないということがうまくいった。精一杯失敗することが成功したというべきか。とにかくうまくいくようになんてことにならないようにと決めていた。失敗にこそ学びが多いなんて気持ちもまったくなかったといえば嘘になるけど。でもまぁ正直なところ、そもそも学びなんてはじめからどうでもよくて。他のメンバーには申し訳ないけど。仕方ない。遊びたかった。とにかくおもしろければそれでよかった。身を削るくらい。眠れない夜もつづいたしずいぶん気疲れもした。心身ともにぐったりなこともあった

          トレーニング、ふりかえり

          翌朝、7時。オンラインが終わってから、ずっとどこかで考えている。他のみんなの多くもたぶんそうだろうなと考えながら僕も考えている。なんとも余韻の残る、気持ち引きずるトレーニングに参加したものだと憂鬱になっている。その憂鬱な感じは自分の望んでいたものでもあるわけで。それもこれも含めてとてもおもしろがっている自分がいる。それは確かにそうで。おもしろがっている。その証拠に、こんなふうに、次の日の朝から書いてる。 忘れないうちに出るまま出せるままに書いておこうとおもう。ビデオ録画はま

          トレーニング、ふりかえり