まるネコ堂芸術祭
もうすぐ締め切りだというので、迷いに迷っていたが「まるネコ堂芸術祭」に出展することにした。もともと出展するつもりはなかったのだが誘われた。それも自分の娘のような年齢の女性二人から誘われた。これは大きい。
還暦過ぎた爺さんが自分の娘のような年齢の女性、しかも二人から誘われたのだから。これは大きい。ちょっとひつこいが繰り返し書いておく。
ほんと出展するつもりはなかった。そもそも出展するものなど何もないのだから当たり前だ。つもりもなにもない。
しかし誘われるということはよくよく考えてみると誘ってる人からすれば何かできそうだから誘ってるわけで。たぶん。そうだ。でないと誘わないだろう。
そうかそんなふうに見えるのか。何かできそうに見えるのか。そうか。そうに違いない。そうだ。そう考えるしかない。
おおよそこのような道筋を辿って何かできるかもと思い込むに至り。自分としてはよくあるパターンな気もするがそれはさておき。
ならば誘われるままよ。乗ってみよう。おもしろいじゃないか。ということで、迷いに迷ったわりには軽い乗りで出展することにした。
出展申込のメールには以下のようなことを書いた。
もうすぐ締め切りだそうですね。出展申し込みます。何ができるかはこれから考えます。何かできるかも知れませんし何もできないかも知れません。芸術祭に出て何もできなかったら、でもそれはそれでおもしろいかも知れません。他の人はどうかわかりませんが僕的にはおもしろいかもです。芸術祭に出てきましたが何もできないのですって言うかな。どうかな。その一方で、何かできそうな気もします。それが何かはいまはわかりません。これから考えます。でもね、考えるということができるのはいいことです。それは僕にとって楽しいことです。考える場所があるならそこに身を置いてみたい。いわば、それが参加理由です。そこから先はこれからです。ではよろしくお願いします。
この参加理由を書き終わったところから、さて何をしようかと考えることがはじまった。予想通りの展開だ。予想通りの展開というのは考えはじめるという、まさにそのことだ。
僕にとっては出展で何ができるかよりもまずその前に出展で何をしようかといろいろ考えることに興味というか関心があるみたいだ。みたいだというのはこうして書いているうちにわかってきたことだ。
具体的な出展作品(もしくはそれ相当の何か)というは考えに考えた末のその結果である。というか結果でしかない。結果ももちろん楽しみだが、その結果に至るまでのところにもっと楽しみがある。 1065文字
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