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あまりにもそれは個人的な理由です

今日、まるネコ堂の文章筋トレ。10分と60分をやった。生きるに価する時間だった。ちょっと大袈裟だけど、そう。そんなふうに書いてみたい。

書くとどうなるか。生きるに価する時間だった。そう書くと、どうなるか。

これは極めて個人的な問題だ。書くとどうなるかというのは、そう。そういう問題だ。僕はそういう問題に取り組みたい。だからせっせと筋トレしている。

もちろんこれがすべてではない。すべてではないということがすべてだ。すべては言い表せない。言い尽くせない。

すべてを言いたいになら、すべてを言おうとするなら、一部でよい。一部を言えば、それで事足りる。そこにすべてがある。すべてがあらわになる。本質とはそういうものじゃないのか。

そんな時間だった。いや今朝の筋トレのことだ。行きつ戻りなのだ。物事は一直線には進まない。それと同じ。書くということも同じ。行きつ戻りつする。

10分もよかったし60分もよかった。はじめの10分は何気なくはじまった。というかはじめた。あれがよかったのかな。よくわからない。でも、終わってみるとよかった。結果よかった。

何がよかったのか。それがうまく言えない。思い出せない。よかったということしか思い出せない。5分でもなく15分でもなく10分がそこにあった。まさにそんな感じ。

次に60分を。これもよかった。60分のうち、最初の20分ぐらいは何も書けなかった。書かなかったのじゃない。何も書けなかった。書くことがなかった。だから書くことをしなかった。

このままず~っとこんなことを、こうしてもいられないなと思って書きはじめた。そんな感じで書きはじめた。そのあたりのことは覚えている。

だから。あても何もなく書きはじめた。なすがままに。50分ぐらいしたところで書くのをやめた。というか書くことが尽きた。もうこの60分はこれでよいと思ってやめた。

60分の書く時間を終えて、読む時間に。時間は15分ぐらい設けられた。でも15分たっても、なかなか次がはじまらなかった。仕方なく僕は待った。20分過ぎた頃、ようやく全員揃った。時間が超過していることなどどうでもよかった。いつかそんな気持ちになっていた。そして感想を言いあった。60分の感想、おもしろかった。

10分には10分の、60分には60分のよさがあった。生きるに価する時間だった。なぜそんなに文章筋トレに通っているのかと問われてもうまく答えることはできそうにない。できそうにないというか確実にできない。あまりにもそれは個人的な理由だからだろう。

いい。この答えは偶然にしてはいい。よくできている。

>なぜそんなに文章筋トレに一生懸命になっているのですか?
>ハイ。あまりにもそれは個人的な理由ですから、うまく答えることができません。 1142文字


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