消極的にサード・プレイスと関わる

今回のパンデミックは外出自粛による在宅ワークを多くの人に経験させ、ライフワークを変化させた
(自分は病院勤務なので変わらなかったが)

その結果、会社への出勤がなくなり、自宅で過ごす時間が増えた

そこでみえてきた問題点からサード・プレイスの在り方をデザインしていく

自宅で仕事ははかどるのか?

自宅とはどのような環境なのか

在宅ワークからみえてきた自宅の在り方を考えていく

「在宅ワークのいいところは?」

という問いに対して

・身だしなみにかける時間が少ない(スーツ、制服を着る、メイクをする)
・通勤時間がない、交通費、時間の短縮
・嫌いな人と顔を合わせなくていい
・自分のタイミングで仕事できる
・仕事帰りの付き合い(非生産的な飲み会)がない
・他人との物理的距離がなくなった

これらがあがってくる

一見、これらは「在宅ワークのメリット」のように思えるが実際は「出勤のムダ」という意味合いが大きい

そのため

「自宅だと必要なものは揃っているが何かが違う、なんか集中できない」

という声が多く聞こえた

具体的には

・起きるのが遅くなってしまう、ダラダラする時間が増える
・集中できない、気分が乗らない

などの理由から作業効率が低かった人も多くいる

この問題を精神的な根性論で片づけるのではなく、デザインという視点から考えていきたい

デザインとは

デザインとは以下のようなことを指す

「美しさ」や「使いやすさ」などの狙いを実現するために創意工夫すること、および、その創意工夫の成果を反映させた見た目や機能のあり方のことであるのこと
Weblio辞書より

デザインは単純な構造のことではなく、意図を達成するための機能的な側面を持っている

ザクが人型なのも意図がある

ミノフスキー粒子の発見によりレーダーによる索敵、ミサイル誘導が困難になったのでロケットを打ち込む戦争から白兵戦を強いられるようになった

その結果、戦車よりも小回りが利く人型のモビルスーツ=ザクが台頭し、人数で劣っていたジオン軍が連邦軍に対して・・・

おっと、話がそれた

自宅は(仕事をする場所に対して)仕事から帰ってくる場所、リラックスする場所としてデザインされてきた

集中して仕事するためにデザインされていない

仕事がはかどらないのも納得だ

一方、職場は仕事をするためにデザインされている

作業効率に差が出るのは明白だ

※自宅の方が作業効率が良かった人は自宅に集中して仕事ができる場所(書斎や勉強部屋、ある場所をそれに切り替える方法)があるか、もしくは職場に何か問題があるのかもしれない

自宅はリラックスするため、職場は仕事をするため、ではサード・プレイスはなんのために必要なのか

サード・プレイスとは

サード・プレイスとは、コミュニティにおいて、自宅(ファースト・プレイス)や職場(セカンド・プレイス)とは隔離された、心地のよい第3の居場所を指す。サード・プレイスの例としては、カフェ、クラブ、公園などである Wikipediaより

サード・プレイスの提唱者アメリカの社会学者レイ・オルテンバーグはストレスの多い現代社会を生き抜くための潤滑油の役割を果たす場所が必要であることを訴えた

職場=緊張=交感神経優位

自宅=リラックス=副交感神経優位

サード・プレイスは機能的にも神経的にもその中間でバランスをとる役割を担う

サード・プレイスは機能により2つに分けて考えることができる

①マイ・プレイス型と②交流型だ

①マイ・プレイス型は家族や職場の人間関係から解放され、個人活動に没頭することができる場所

②交流型は居心地のよい新たなコミュニティを形成できる場所を指す

スターバックス(以下スタバ)はマイ・プレイス型の典型例だ

コーヒーを飲む目的ではなく本を読む、資料を作るなど個人が作業をする場として利用している人も多い

それはスタバの環境(コンセント・Wi-Fiあり、比較的静か、店員との距離感、長居していい雰囲気)がそうさせている

学生が受験勉強していたり、マックブック片手にビジネスマンが仕事をするのは自宅よりも作業効率がいいためだ

スタバで仕事する自分に酔っているわけではないのでフラペチーノを飲みながらおしゃべりする人は彼らを冷たい目でみないであげてほしい

もっとはっきり言おう

自分がスタバで解剖書を広げて作業していても憐れむような目でみる女子にはならないでほしい

コーヒーで酔えるはずがないんだ

まぁ、そもそも自分はアルコールに弱く酔う前に吐くのだが・・・

一方、交流型のサード・プレイスは日本には少ないと言われている

交流型のサード・スペースに代表するのはイギリスのパブ、日本っぽい言葉でいえば行きつけの飲み屋がそれにあたる

特徴としては新しいコミュニティが生まれることである

仕事帰りに行きつけの飲み屋にいって隣に座った客と楽しい時間を共有すること

好きな時間に気軽に集まれることを目的としている

現代ではこのようなコニュニティを持つ人は少ない

そもそもアルコールに弱く、タバコも嫌い、知らない人といきなり話して盛り上がるのが苦手な人もいる

自分だ

自分の好みは置いておき、マイ・プレイス型であれ交流型であれ、サード・プレイスがある意義はなんとなく理解している人は多いはずだ

では、今回のパンデミックのようにサード・プレイスが強制的に閉鎖した時、そしてこれから我々はどう対応していくのがよいのか考えてみる

選択肢は2つある

1つは自宅のデザインを変えること、もう1つがオンライン上にサード・プレイスを作ることだ

自宅のデザインを変える

自宅はリラックスするためにデザインされてきた

仕事や勉強、トレーニングをしようにも集中できない

その場合、自分を変える前にデザインを変えた方が早く問題は解決する

「形を変えること」から入るんだ

形は機能を作る

ゼータガンダムとダブルゼータガンダムの形を比較するとどちらがシャープでどちらがパワフルかパッとみた瞬間に理解できる

また話がそれる気がするのでガンダムの話はここまでにしておく

仕事をするなら1人の空間を作り、デスクの周りを片づけて、スマホの電源を消してノートパソコンで作業する

トレーニングならヨガマット敷き、トレーニング道具、プロテインを近くに用意しておく

自宅の一部をサード・プレイスに変える

それだけで作業効率があがるはずだ

オンライン上にサード・プレイスを作る

今回のパンデミックでライフワークの一部がオンライン化した人も多いはずだ

仕事、学校だけではなく飲み会やヨガなどの趣味活動つまりサード・プレイスさえもオンライン化した

このサード・プレイスのオンライン化に関して我々はまだその本質を理解していないので少し掘り下げていきたいと思う

リテラシーと参入障壁のトレードオフ

オンライン上のサード・プレイスを考えるにあたりリテラシーと参入障壁の関係は理解しておく必要がある

リテラシー(英: literacy)とは、現代では「(何らかのカタチで表現されたものを)適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」という意味に使われる Wikipediaより抜粋

最近、社会的問題になっているがネット・リテラシーの低さだ

特定の芸能人に対する誹謗中傷もそうであるし、間違った情報があたかも正しいように乱立していることもある

リテラシーの高低とオンライン上のプラットホームの参入障壁はトレードオフの関係にあることが多い

トレードオフ(英: trade-off)とは、何かを得ると、別の何かを失う、相容れない関係のことである。平たく言うと一得一失(いっとくいっしつ)である Wikipediaより抜粋

簡単にいえば「入りやすいと質が低くなりやすい」「入りにくいと質が高くなりやすい」という意味だ

アンチは減らして、質のいい空間を作りたい場合は参入障壁を高くすればいい

アイドルのファンクラブでも「誰でも無料で入れてコメントできます」と設定するとアンチが出てくるが、入会金を設定するなどハードルを上げればリテラシーの高い顧客が集まりやすい(金を払うようなファンはそのアイドルに対する基礎知識、理解がある)

このデザインは質のいい顧客に対して質の高いサービス(価値)を提供することで成り立つ

一方、SNSやヤフコメのように参入障壁を低く設定するとオープンな場になるというメリットはあるが、リテラシーが低くなるデメリットがある

オンライン上のサード・プレイスを考える時にどのような環境にデザインされているかを理解するとその特徴がみえてくる

今回参考にした記事 https://slowinternet.jp/article/20200220/

消極的にサード・プレイスと関わる

ここまではシンプルな話だったのだが、最後に少しめんどくさい話をする

もしかしたらこの感覚は日本人特有で海外の方には理解されないかもしれないし、日本人でもこの感覚が全くわからない人もいるかもしれない

「消極的に関わる」ということだ

「控えめ」「つつましい」「遠慮しがち」と置き変えれることができるかもしれない

スポーツ選手が海外でプレーする時や海外留学で大切なこととして

「自己主張が大切」
「自分の意見をはっきり言わないと相手には伝わらない」
「相手に理解してほしかったら積極的に自分からコミュニケーションをとる必要がある」
「きっとこの世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔だと思う」

など自発的で積極的なコミュニケーションの取り方をあげる方が多い

海外生活だけではなく学校生活や会社勤めでも共通する事実であり、学校教育でも積極的あることを評価する傾向にある

しかし

「他人に自分から話かけてプライベートなことを聞く」
「合コンで歌って飲んで盛り上がること」
「自分の趣味嗜好をアピールすること」

これらが苦手な人もいる

自分だ

だからと言って話すのが嫌いなわけではない
むしろ表面的な会話よりも深く物事を考えることを好む
アルコールは飲めないし、カラオケは苦手だが女の子は好き
ドラクエは好きだが、ドラクエⅩのようにオンラインでどっぷりと他人と一緒にやるのは嫌い、ドラクエⅨのようにすれ違い通信で地図を交換するのはワクワクした

そんな人もいる

自分だ

消極的な姿勢ではあるが対人関係が嫌いというわけではない

この距離感が自然であり、心地よいのだ

むしろ表面的な笑顔を振るまうことに違和感を感じる(社会人として仕事の時はちゃんとしますが)

理学療法士という仕事柄、作り笑顔と本当の笑顔くらいはわかるのだが、他人に対してずっと作り笑顔しかしてない人をみると大変そうだな、と思う

実際にそのような人は自律神経系トラブルを抱えていることが多い(細貝調べ エビデンスはない)

消極的な人にとって居心地のよいサード・プレイスとは物事に対する進入速度と深度を自分で決定できることではないかと考える

深く考えること、ゆっくりと考えること、発信すること、それらを場の流れではなく自分の意志で行い、オンライン上のサード・プレイスへの関わり方を自分でデザインしていく

Twitterでよくみる「おはよう(^o^)/」や「本日のノルマ」や「おしゃれなランチ」をルーチンワークのように載せる行為と対極にある行為だ

「おはよう(^o^)/」も自らの意思で決定しているなら人なら問題ないのだが、(見ている人は疲弊する場合もあるが)それが無理やり頑張ろうとする行為となっていると本人が疲弊することもある(いわゆるSNS疲れ)

サード・プレイスのオンライン化はプラットホームに影響されやすいという側面がある

そのため自らの意思により「消極的にサード・プレイスに関わる」ことで居心地の良い距離感をデザインしていくことを提案したい

今回参考にしたサイト http://www.sigshy.org/

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