2024.1005、日記🔴聖徳太子の素晴らしさを感じる〰️〰️,を紹介します🥭
🔴さくら便り さまから、聖徳太子の十七条憲法のすばらしさを教えて頂き、さらに自分なりに考えを深めました。
とても難しい内容なので、聖徳太子への思いを一枚の絵で表現したいと思います。
⤵️まずは、さくら便り さまのメッセージ
⤵️さらに深く考える為、小名木善行 (おなぎ ぜんこう)さんのYouTubeを見ました。
むすび大学チャンネル、聖徳太子 本当は何がすごいのか?です。
以上の事から、この時代の感じを、一枚の絵にしました。3つの内容が対立せず、調和している様子を表しました。
⤵️敬神の詔と大調和 -から引用しました。
聖徳太子は、 607年2月『敬神の詔(みことのり)』 を
推古天皇の御名で詔されました。
そこには次のように書かれていました。
「古来わが皇祖の天皇たちが世を治めたもうのに、
つつしんで厚く神祇を敬われ山川の神々を祀り、
神々の心を天地に通わせられた。
これにより陰陽相和し、
神々のみわざも順調に行われた。
今わが世においても、
神祇の祭祀を怠ることがあってはならぬ。
群臣は心をつくしてよく神祇を拝するように」
こうして我が国は神道と仏教を見事に大調和させていきました。
この大調和の精神は、それから1400年以上経過した我が国において、いまなお生きています。
では、なぜこのような調和が可能だったのでしょうか。
その答えは、我が国の神道そのものの形によります。
神道というのは、 1万7千年前に始まる縄文由来の我が国の生活習慣です。
食事をいただくとにき、 大地や山川海の恵み、 その食材を採取したり作られたりされた方々への感謝、
食材を加工して食事にしてくださった方々や、 食器を作ってくれた方々、その食器を
毎日洗ってくださっている方々、 そうした 「自分の口に入るまでのすべての恵みに感謝を捧げる。
食事は、西洋医学ではただの肉体の栄養素ですが、 我が国では古来、 食事はその食材が持つ固有の波動や、 作られた人々の思いの全ての波動を一緒にいただくという思考をします。
そして感謝を捧げるために祈る、あるいはどこかに出かけるときに、道中の無事を、行く人も待つ人も一緒に祈る。
その祈りのときに両手をまっすぐに伸ばして手を合わせるのか、 両手の指を組んで祈るのか、 礼として頭を下げるのか、 ひざまづくのか、 それらはすべて古来からの様式であり、国や民族ごとに違いがあるものです。
ついでに言うなら、 1日一食か、 1日三食か、 おやつを何時にいただくのかだって、 生活習慣です。
そうした生活習慣を、 ご先祖たちと共有することで、いまのこの瞬間を未来や過去と繋げていく。
ですから我が国の神道には、 教義も経典もありません。
なぜなら神道は、生活習慣だからです。
⤵️敬神の詔と大調和 から-引用しました。