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僕のスペイン滞在記 #2

おはようございます。店長の田中です。
スペインのバルセロナに留学中は、
サムネの画像から見える景色の中に住んでました。
#グエル公園

今日は先日に続きスペインのバルセロナに留学した時のことをお話します。
僕が20歳の頃のお話。
ちょっと仕事の話はお預けです。お許しを。

今日は、「留学生コース編」です。
全くスペイン語のしゃべれない僕が、何に苦労し何に助けられたかをお話していきたいと思います。

はじまりはじまり。

◆留学生コース編

僕は大学の授業の一環でバルセロナ大学に半年程留学した。
最初のクラス分け試験で運悪く上位の1番下のクラスに入った。授業は基本板書なし。しばらくは地獄のような授業だった。
何を言ってるかわからないだけならまだしも、ガシガシ質問されるもんで、劣等感の塊のようだった。今思えば周り他の外国人だって話せてなかった。ただ僕との違いは、英語ができることと、覚えが早いってこと。
それだけ日本語は特殊だったし、日本人は前に前にいかない生徒が多かった。
「宿題忘れました」は早めに覚えたなぁ。
#これで逃げきれた

とまぁ友達がほしいのに、話せない、聞き取れない劣等感から学校が面白くない。
あれ?思ってたのと違うぞとなる。

そんな時に出会ったのがアメリカ人のピーターだった。友達が友達になり一緒にいるようになった。金髪のイケメン。なりより誰にでも優しい。のに年下。家はお金持ち。何一つ勝てるところはなかった。共通だったのは、バスケが好きなこと。
僕は彼の優しさにつけこみ、週末に公園で一緒にバスケをした。
#バスケは勝てた
#バスケも勝てなかったら死にたくなったかも

お互いに友達を集めて遊んでいたけど、次第に2人で遊んだりピーターのホームステイ先に遊びに行くようになった。
それから友達が芋づる式に増えていった。
学校では苦戦したものの、私生活になったら風向きが変わってきた。
僕がやっていたことは、

①電話で約束する
=これがめっちゃ大変。ジェスチャーが使えない。

②なるべく2人て会う
=逃げ場がない

無理矢理にでも話す環境にしたのだ。
もちろん思ったことをしゃべれない、聞き取れないもどかしさはあるものの、遊びながらは僕に合っていた。
ピーターは僕より先に帰国したが最後までただただいいやつだった。
今でも彼の顔ははっきりと覚えている。
ピーターはホームステイ先の家族に僕を紹介してくれた。
この出会いもすごい大きかった。
その後の僕のスペインの家族となり、僕のバックパカーの拠点となる。世界遺産サグラダ・ファミリアの裏にあって、部屋の窓をあけたら目の前に見える最高の場所だった。

ここだけの話。
ピーターが帰国して空いた部屋に僕もホームステイさせてもらった。寮に住んでることもあり、大学の先生に許可をもらおうとしたが即却下。そりゃそうだろう。
でもやらました。ごめんなさい。
今逃したら次はなかったんです。
ホームステイ編はまた後日改めて。
ホームステイ編はあったかい家族のお話しです。

大学生活には、留学生コース編と夜間授業編があるのだか、留学生コース編はあまり記憶にない。
あるのはわざと遅刻していったことや、
お酒を飲んで勢いをつけて授業に行ったこと。
友達もあまりできなかった。
最終日の集合写真の僕の顔は笑ってはいなかった。世の中そううまくはいかない。

それでも僕はいい出会いをした。
いい出会いの連鎖を経験できた。
僕の宝物の1つになった。
人で苦労もしたけど、人に助けられたりもした。自分次第で状況は変えられる。
前提として行動ありきだけど。

今日はそんな苦い思い出の話でした。

僕の学びは、
◆行動あるのみ
◆自分にあったやり方がいい
◆自分を追い込むことで前に進める
◆人は逃げたいし、都合の良い方を選びやすい
こんなところでしょうか。

皆さんの何かのきっかけ、気づきにつながっていただけると嬉しいです。
僕のほろ苦い思い出が成仏できます。
今日も読んでいただきありがとうございました。

以上、店長の田中でした。

またお会いしましょう!



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