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黒石市長の未必の故意で、母親が殺されました。NO11
現在も市役所は、訴状も無く裁判の準備もしていないのに「裁判をやるなら、何も説明できない」と言って、母親が施設内で、どのような暮らしをして、どのように過ごし、どのような事をされていたのか、どのようにして死亡したのか全く説明しない!
これこそが「ミスをしたと、認識している」証拠であり、真実を言うと、自分らが、世間に叩かれ、まずいことになるという事を、事実上認めてという事である。
当時、彼らは、3月15日に、認知症の母親が、「息子に背中を殴られた」と施設で発言したので、高齢者虐待で動いている。と説明したが、そもそも、その証拠もなく、空想で母親を拉致して、溺愛している息子から引き離したこと自体が、国際的に、人権侵害という犯罪行為であることを、愚かにも認識していない。
そして、母親を、自信(黒石市役所職員)が殺したという事実を、哀れながら自覚もしていない。
ここで重要なのは、時系列と、確かな証拠と証人の存在である。
2日前の3月13日、母が自宅で意識障害に至っため、
私は、救急車を手配した。
そして、運悪く市内の病院に断られ、隣接する弘前の国立病院へ搬送されることになった。病院では、母親が施設内で頭を何度も強打してから異常が発生したことなどを説明した。医師らは複数の検査を実施し、容態が安定したため、一時帰宅することが許された。
その時、予定外の出費(約15000円・市内の病院は、毎回約5000円でした)で、タクシー代などが、足りなくなっていた。
国立病院は、初めて行く病院で、場所が全く分からず、また、当日、弘前市内の石沢内科胃腸科へ行って診察する予定だったので、その後の生活を考慮して、そのまま石沢内科胃腸科へ向かった。
病院内は、とても清潔で暖かく、他の患者も居て、とても安全だった。
私は、母親がタクシーに酔う事、そして救急車で搬送されたことで、次の日の食費や母親の検査費用が気になり、またタクシー代が足りなくなっていたので、母親を患者に預けて、自家用車を取りに行った。
その間、母親が放置されたと勘違いした病院関係者が、警察に連絡し、また母親に、施設内で転んだアザが多数あったため、警察は、私に虐待の疑惑を抱き、捜査が始まっていた。
私は、疑惑を晴らすため、ケアマネージャー、黒石病院、デイサービスなど複数の施設、また救急搬送を、繰り返していたので、弘前消防所に連絡して、母親を1人で寝ずに介護し、アザは施設内での転倒が原因であり、虐待などをしていないということを、確かめるように警察に指示した。
そして警察官らは、約3時間かけて施設などに連絡し、また母親に、3時間近く聴取して、母親から「最高の息子」「最高の弟」「叩かれたことはない」などという発言だけで、虐待などの行為は、全くなかったということを、母親から確認した。
そして、警察官らは、私に対して「誤解だった」と説明して、帰るところだった。
そこにスタンドプレーのサイコ職員Iが現れ「これから重要な事を説明するので、刑事さん証人になってください」と威張り散らして、言った。
それに対し警察官らは「自分らは関係ないから」と言って、去って行った。
にも関わらず、その職員Iは、私に対して「母親を預かる」「疲れていそうだから休んだら」などと言って、母親を拉致した。
当時、私は、数カ月間殆ど寝ずに介護して、3月は、認知症が酷くなった母親を、見守るため、床に寝て、睡眠時間が平均1時間だっため、不覚にも預けてしまった。
それが、彼らによる殺害に繋がってしまったのだが、ここで重要なのは、3月13日に、母親からは、叩かれたという発言は、一切なく、2日後に、初めて叩かれて痛いと発言したことである。
警察官が、3時間も聴取し、その間、母は「130CCの水を飲みたい」と警察官に発言して、警察官は、私にその意味を聞きに来て、私は自動販売機から、ミネラルウォーターのジュースを買って、警察官に渡すなど、一切、叩かれたり、痛いという発言はなかったという、明確な事実と証拠と証人である。当然、警察所には、その資料もある。
そもそも当日、母親が私に叩かれたと発言したら、その時点で逮捕されているはず・・・
そして2日後に、母親は叩かれて痛いと発言するが、母親は、昨年の段階で、私を「義之」と呼び、自分の弟だと思っていた。これには、多くの証人がいる。
また、自宅などの場所の認知にも影響が出ていたという事実である。
よって、施設や病院を自宅と思い、近くにいる職員らを「息子」と勘違いしていた事実である。
そのため、3月15日に、彼らに暴行され、叩かれて痛いと発言したが、それが、表に出ると問題になるため職員らは、私に罪を擦り付けたのである。
完全に名誉棄損、犯罪隠ぺい。
そして、その直後、母親は、脳梗塞か慢性硬膜下血腫による脳ヘルニアと施設が勝手に投与した睡眠薬による合併症で、植物状態になる。
しかし、彼らは、死亡する恐れがあると知りながら、救急車も手配せず、病院へも連れて行かない。
これは、未必の故意による殺人。
また彼らは、その後、2週間も「調査中」とだけ言って、何も調査した気配もないのに、その一言だけで、私に対して「母親の場所は教えない」「病院へは連れて行かない」と説明するだけであった。
さらに彼らは、悪徳警官と組み、私を拉致監禁することに協力した。
私は、母親を病院へ連れて行かないと死亡するから、母親の居場所を教えてくれ、母親を殺すなら私も死ぬと抗議したが、彼らは警告を無視して、私を拉致監禁することになる。
これも、人権侵害であり、未必の故意による殺人。
そもそも母親は、老後良く転倒していたが、転び方が上手く、厚着をしていて、強い人なので痛いと発言したことはなかった。
痛いと発言したのは、私の記憶では、1月に自宅で転倒して、頭を文鎮に強打して、出血して救急搬送された時、2月に、約20か所も後頭部にコブを付けて、帰ってきた時だけである。
そのため、相当強く母親は、職員に暴行・殴られいたという事実である。
そして、母親は、殺された。
殺されて帰ってきたとき、葬儀業者に、仏様に挙げる、ごはんの備え方を教えられ実行したが、その時は「こんなものは食べさせたくない。もっと真面な物を食べさせたい」と言って、1人で泣いた。
毎日、私は、母親に、巨峰やメロンを与え、高級牛肉の鍋などを作り、毎日お風呂に入れていたが、施設では、残飯のような食事、お風呂は週に2回という刑務所のような生活を強要され、さぞ無念であったと・・・・・
私は復讐する。愛する母親を殺されて、黙っている息子は、
この世にはいない。
私は、腐った社会を変えるため、元々政治家を目指していた。
私は、選挙に立候補して、全てを掛けて必ず政治家になって、彼らを裁く。
殺人に時効はなく、法律を変えてでも、彼らを刑務所に送る!