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ビターメモリー

皆さんはふとした時にほろ苦い思い出が蘇ってくることがないだろうか?

例えば転校してしまう気になっていた男の子や女の子にわざと冷たい態度をとってしまったり、勉強をしなさいという母の言葉にカチンときて今やろうと思っていたのに!と強い反抗を示したりとかそういう類のものである。

これが嬉しい事や懐かしくも楽しいことだったら思い出し笑いという事になるのだろうが、この感情にあえて名前を付けるとしたら思い出し苦みとでもいえばいいのだろうか。

私が何度も思い出すのは中学生になったばかりの夏休みに町でばったり小学校六年生の時の担任と出会った時に向こうはおお、元気かという感じでフランクに接してくれようとしたのに何となく恥ずかしくなってその場からダッシュで逃げ去ってしまったことである。

別に叱られているわけでもなく先生は親しみを込めて話しかけてくれたのに思春期特有の自意識過剰からとても失礼な事をしてしまったと後になってチクリと心に小さな針が刺さったような罪悪感が残った出来事だった。

大人になればなるほど何も逃げることはないし先生もショックだったろうなと思いだし苦みが身に染みて何年かに一度不意に思い出してはああ、幼かったとタハハと力なく苦笑いをするのであった。

他にはこれは全然自慢じゃないが、高校生時代に自分に好意を寄せてくれた後輩がいたのだが私には他に好きな人がいたためにその子に対してちょっとつれない態度をとってしまったりと、これまた思い返すと自分の器量の狭さにげんなりとしてしまうのである。

他にも思い出してみると笑える話よりもちょっと苦い話の方が多い人生を歩んできているなぁと感じて自分の未熟さをしみじみ感じるのが思い出し苦さだ。

大人になってからはそういった相手の気持ちをないがしろにする事はしないように気を付けているが、今でも時折危うい時がある。

どうでしょう、皆さんの心の中にも思い出し苦みが眠ってはいないだろうか?

純真無垢でも相手を傷つけることもあるから人生は難しいですね。

あ、決して私がピュアだというわけではないですよ。

それなりに邪まな部分も持ち合わせておりますとも、いひひ。

そんな私の昨日の晩御飯がこちら。

昨日は買い物に出かけなかったのであるものでごはん。

メインは鶏のささみ。

ささみを一口サイズに切り分ける。

玉ねぎを薄切り、キャベツをざく切り。

フライパンに油を敷いて火をつけてささみと野菜を入れる。

ささみの色が変わって野菜がしんなりするまで炒めたらホールトマト一缶を加えてコンソメ顆粒で味を補強する。

後はふたをして十分くらい煮る。

その間に副菜づくり。

カブがあったので薄切りにして塩でもんでしなっとしたら塩昆布と和えてカブの塩昆布和えの出来上がり。

あともう一品は先日両親が言った旅行のお土産のかつおの醤油煮。

これは湯煎してホカホカにしておく。

糠漬けは人参。

ささみを煮込んでいるふたを取って程よくとろみがついていたら仕上げに豆乳と塩コショウを適量入れてささみの豆乳トマト煮の出来上がり。

これで晩御飯は完成。

妻を呼んでいただきます。

まずは糠漬けから、試しに三日漬けてみたがちょっと漬かり過ぎだった。

やっぱり人参は二日漬けるくらいがちょうどいいみたいだ。

それからカブの塩昆布和えを食べる。

ショリショリとした甘みのあるカブを塩昆布の旨味が包んでおりお酒のあてになりそうな一品だった。

お次はかつおの醤油煮。

しっかりと味の染みた煮魚でガツンとかつおの味がしてちょっと濃いめの味付けでご飯が欲しくなった。

昨日も糖質を控えるためにご飯は炊かなかった。

それからメインのささみの豆乳トマト煮を頂く。

ささみなのであっさりしていて野菜からもしっかり味が出ていて食べやすい一品。

豆乳とトマトのスープが柔らかくて優しい味わいで食べていて心が和んだ。

軽めの晩御飯だったが私は十分満足してご馳走様。

妻はちょっと物足りなかったみたいで食後にお菓子を食べていた。

後片付けをしてお風呂に入って早めに就寝。

良い思い出も苦い思い出もひっくるめて人生ですよね。

ゲームと違ってリセットボタンはないからこそ生きている意味があるのかなと。


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