いくつになっても嬉しいもの
今日は私の誕生日である。
これまで度々note上では48歳だと公言してきていたが、今朝妻に世界一速い祝福の一言に衝撃を受けた。
「お誕生日おめでとう、今日から48歳だね。」……うん?今日から…。
ああっ!そうだったのか私は昨日までは47歳だったんだと気が付いて軽い衝撃を受けた。
妻にそのことを話すと、あははと笑われて一年得したと思えばいいじゃないと言われてそれもそうかと気を取り直した。
出がけに妻からはい、これ後で読んでとお手紙を頂いた。
早速車の中で手紙の封を切って読むと頬がにやけるような愛情あふれるメッセージが書いてあって朝からとってもハッピーになった。
それから普段は滅多にLINEをしてこない甥っ子からお祝いのメッセージだったり母親からのメッセージだったり数少ない友達からの飲みのお誘いなどありがたい事にたくさんの祝福を頂いた。
誕生日というものは何となく一日がフワフワしているもので心の中でニヨニヨが止まらない。
大人になるともう歳をとるのが嫌だわぁという人もいるが私は歳を重ねる事は決して悪い事とは思わない。
何といっても自分が生きてきた年輪であり、ちらほら出てきた白髪もなかなか引っ込まないお腹も愛おしささえある。
肉体は衰えていくかもしれないが精神的な成長はまだまだいくらでも伸びしろがあると思えるのでこれからも歳を重ねるのが楽しみなくらいだ。
今晩は妻が焼き肉をご馳走してくれることになっているので晩御飯を作らないでいいので大変気分が楽である。
結構久しぶりの外飲みなので飲みすぎに注意してお腹いっぱい食べようと思う。
子どもの頃の誕生日と言えば、お昼は友達を家に招いて誕生日パーティを開いたものである。
お菓子とジュースも普段の駄菓子的なものからワンランク上のものを母が用意してくれたものだ。
それからケーキまで準備してくれていたので至れり尽くせりだった。
本日の主役の三角帽子をかぶってみんなからおめでとうと言われる。
それからボードゲームやファミコンなどを気が済むまで楽しむことができた。
ファミコンは一日一時間のルールはこの日ばかりは免除されたので友達と遅くまで遊び倒したものである。
夕方になって友達が帰ると次は家族での誕生日会パート2である。
晩御飯はチューリップのから揚げが定番でフライドポテトやマカロニサラダと私の好物が並んだものである。
そして特別な日限定の細い瓶のオレンジジュースも一人一本支給されたのが嬉しかった。
お腹いっぱい食べてゴロゴロと横になっていると父がケーキがあるぞと言うのでお昼に食べたんだけどなぁと思って居間に行くとケーキはケーキでもアイスケーキだった。
当時はアイスケーキは非常に珍しく父がわざわざ買いに行ってくれたことも嬉しくて父ちゃんありがとうっと言って冷た~いケーキに齧りついた。
あれから何度かアイスケーキを食べる機会があったがあのファーストインパクトにかなう味にはいまだに出会っていない。
アイスケーキを堪能したら誕生日の目玉は花火である。
庭に蚊取り線香の台を置いてその上にろうそくを立てて手持ち花火大会の始まりである。
先端の紙の部分がメラメラと燃えてシュワ―ッと綺麗な火花が散る。
赤色だったり緑色だったり青色だったり途中で色が変わる花火、それからねずみ花火などの花火をひとしきり楽しむとお祭りの仕上げに父が打ち上げ花火を上げてくれた。
市販のものだが、連発花火は手持ちで打ち上げている父の姿が格好良かったし、パラシュート花火は落ちてくるおもちゃ目当てに兄弟で競い合ったものである。
そしてフィナーレにふさわしい一番大きな打ち上げ花火を上げる。
父が導火線に火を点けてその場から離れるとシュポッと音がして上空十メートルくらいの所でパーーンと大きな華が咲いた。
後は後夜祭的に家族全員でより固まって線香花火を楽しんだ。
線香花火の醍醐味は誰が一番長くもつかである。
この勝負は不思議といつも祖母が最後まで残っていた。
コツを聞くと花火の声を聞くんよ、とよくわからない事を言われた。
線香花火が終わるといよいよ楽しかった誕生日もおしまい。
夏休みも残り十日余りで残っている宿題の事を考え始めてじんわりと気持ちの底が焦ってくるのであった。
そんな遠い夏の黄金の一日を思い出して、今晩の事も楽しみにしている。
今年の抱負は少しでもクスリと笑える日常を増やすことにしよう。
上半期のnoteがあまりに辛気臭い日常ばかりで反省しきりである。
お料理noteが疎かになりがちなのでなるべく備忘録的にでも書いておきたい。
とりあえずしんどくてもユーモアと知恵で乗り切っていきたい人生の大波小波。
なぁに、私には最高のパートナーがいますから。
テヘヘ最後にのろけちゃいました。