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南南東のやや南。

 今日は節分、全国の小さなお子さんにしてみれば鬼に脅かされる恐怖の一日である。

 私も小さいころは幼稚園で先生が扮する鬼に対して泣きながら豆をぶつけたものだ。

 それから帰宅して晩御飯を食べていると庭から鬼の格好をした父がのっそりと現れて私たち兄弟を家じゅう追いかけまわした。

 鬼の正体が父だという事はぼんやりとわかっているのだが凝り性だった父は上半身裸で母の手作りのしましまの鬼のパンツをはいて段ボールで作った金棒を振り回して暴れるものだからおっかなくて仕方がなかった。

 母が私たちに豆を渡してくれてその心もとない武器で父鬼に対抗した。

 豆をぶつけると鬼はウガァーという叫び声をあげて再び庭に消えていった。
 
 それからしばらくすると玄関から何事もなかったかのように父が帰宅してきたので私たちは警戒をしたものである。

 そんな全力で鬼と対峙していたのも小学校の低学年まででその頃には父も鬼に化けるのが面倒になったのか節分は豆をまくだけの一日になった。
 
 家の中で福は内と言いながらすべての部屋に過剰に豆を撒いて散らかしあげたものである。
 
 家の外に向けても鬼は外と叫びながら大量の豆を撒いた。

 節分の時に撒く豆は祖父が焙烙で炒った豆で齧ってみると硬くて歯が欠けそうになったが香ばしくて美味しくてつい年の数以上食べてしまうのが毎年の常だった。

 最近では節分の時に食べるものとしては恵方巻がすっかり定着した。
 
 毎年豪華になる傾向にあり素朴な巻き寿司からマグロやぶりの太い切り身を巻き込んだものをよく見かけるようになった。

 私の記憶が正しければ恵方巻はもともと関西地方独自の風習だったはずである。

 それがコンビニで取り扱うようになってからあれよあれよという間に全国区の食べ物に昇進した。

 他に節分の日に食べるものとしてメジャーなのはイワシだろう。

 子どもの頃には小骨の多いこの魚の塩焼きが食卓に並ぶとげんなりしたものである。

 大人になってからは魚の味が少しはわかるようになったので美味しく頂けるようになった。
 
 イワシと言えば大衆魚で安さが売りだったが最近ではずいぶんと値上がりしている。

 漁獲高の減少や船の燃料代の高騰など値上げにつながる理由はいくつもある。

 そういえば鬼除けのおまじないに玄関にヒイラギの枝にイワシの頭を刺したものを飾っている風景もすっかり見かけなくなった。

 この風習も節分ぽいなと思っていたが廃れたのは少し寂しい。
 
 そんな節分あれこれを思い出しながら帰り道にスーパーに立ち寄った。

 店内は夕飯のおかずを買い求める人であふれていた。

 特に恵方巻を取り扱っている鮮魚店と総菜コーナーは値引きシールを狙う人たちで大混雑だった。

 その行列に並ぶのも煩わしかったのでスルスルと隙間を縫って適当に一本巻き寿司を手にとった。

 それはサーモンとマグロと合わせ巻きで千円くらいだった。

 巻き寿司一本の値段にしてはずいぶんと強気な値段だったが戻すのも
大変そうだったのでそのままかごに入れた。

 後はイワシを買ってそれから隠し玉に一品買い足してお酒も選んで混み合うレジで精算して帰宅した。

 帰宅してから手洗いとうがいを念入りにして晩御飯の支度に取り掛かる。
 
 恵方巻は丸ごと齧るのがルールなのでそのままでいい。

 イワシは塩をしてしばらく放置していったん塩を洗い流してキッチンペーパーでよく拭いてそれからもう一度塩をしてグリルにイン。
 
 魚が焼けてくる香ばしい匂いを嗅ぎながら大根を摺り下ろす。

 それから本日の隠し玉のクジラを水に晒して血抜きをする。
 
 私の地元では節分の定番で大きなものを食べると縁起がいいと言われている。

 私が子どもの頃はクジラは安いお肉の代名詞で食卓の常連だったが最近ではすっかり高級品になってしまった。

 それでも年に一度くらいは食べたくなる。

 食べ方としては刺身や竜田揚げが定番であるが今日はステーキにする。

 血抜きをしたクジラに塩コショウをして臭み消しにニンニクをまぶす。

 後は熱したフライパンで焼くだけである。

 今日のクジラは刺身でも食べられるものだったのでミディアムレアに焼き上げた。

 付け合わせの野菜はこれまた普段はあまり食べないミックスベジタブルをつけた。

 そうこうするうちにイワシが焼きあがるのでお皿にとって大根おろしをこんもりと盛る。

 汁物はとろろ昆布のお吸い物。

 うん、出来た出来たと言いながら居間にご飯を運ぶ。

 今日のお酒はビールでスタート。

 ピシュッとプルタブを起こしてグラスにビールをトクトクトクーッ。

 勢いよく注いだ後に泡が落ち着いたらキューッと一気に飲み干す。

 喉を通り抜ける炭酸が心地いい、ヌフーッ美味いっと声が漏れる。

 暖房の効いた部屋で飲むビールは冬の醍醐味ですなと言いながら二杯目を注ぐ。

 それからまずはイワシの塩焼きに箸をつける。

 出来るだけ小骨をよけながら身をほぐしてパクリ。

 大ぶりなイワシなので脂がしっかりのっており思わず笑顔になる。

 二口目は大根おろしを乗っけて食べるとこれまた相性がいい。

 うんうん、ザ・焼き魚だなと思って身をほじる。

 お酒のアテにもいいのでビールがあっという間に空になる。

 次のお酒はホットウイスキーにした。

 一口飲むとホウと体の芯まで温まる。

 ではお次はクジラステーキを頂く。

 クジラ肉はやや硬いのでそのまま齧って食べるのには不向きである。

 ここはお行儀よくナイフとフォークを使う。

 キコキコと切ってからパクリ。

 クジラ肉特有の血の味が口にあふれワイルドな食感である。

 ややもすれば臭いと言われがちな癖のある獣臭がまた癖になる。
 
 そうそう、これがクジラの味だと言いながら二口目をパクリ。

 ホットウイスキーとの相性も良くてご機嫌である。

 喉につかえないようによく噛んで飲み込む。

 このムギュムギュした歯ごたえがたまらんと思いながら食べすすめる。

 あらかたおかずを食べた後で本日の主役の恵方巻にいよいよ取り掛かる。
 
 まずは今年の恵方を調べてその方向を向いて座りなおす。

 ではと心の中で決意してガブリっと一息で四分の一くらい噛み切る。

 モグモグモグと無心で巻き寿司を頬張る。

 途中で口を離してはいけないのでなかなかに大変である。

 それでも無言で粛々と食べた。

 最後の方がやや苦しかったがどうにか丸ごと一本いけた。

 お酒でのどを潤しながら今年もいいことがありますようにと願いを込めた。

 それから残りのおかずを食べてごちそうさまをした。
 
 食後に片づけをして豆を年の数だけ口にした。

 行事ごとは全力で楽しむとやりがいがある。

 私イベントは楽しむ方なので。

 さぁて明日は何を食べようかな。

 

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