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柱の傷はいつまでも。

 今日五月五日は端午の節句。

 男の子の成長を願うお祭りの日だ。

 私が子どもの頃には母と一緒に柏餅を作っていた。

 まずは自宅の裏山で柏の葉っぱを摘みにいく。

 母に連れられて山に入ると新緑の勢いがすごくて藪を漕いで進むのが大変だった。

 目的地に着くと、いいこれと同じくらいの大きさの葉っぱを千切ってねと言われたのでなるべく同じサイズになるように吟味した。

 このくらいでいい?と聞くとうん、上出来上出来と褒められるのが嬉しかった。

 無事に収穫が終わると山を下りて柏餅づくりに取り掛かる。

 まずは葉っぱをよく洗っておく。

 その次に上新粉と砂糖を合わせて菜箸でよく混ぜる。

 そこに熱湯を何回かに分けて入れてポロポロになったら手で捏ねる。

 それをいくつかに千切って沸騰した蒸し器に入れて蒸していく。

 10分くらい蒸したらふたを開けてアツアツのうちにまた捏ねる。

 まとまってきたら一個分の大きさに分ける。

 後はそこにあんこを挟んで柏の葉でくるんだら柏餅の出来上がりである。

 何年も一緒に作っていたので工程は覚えているがほとんど母が作るのを見ていただけなので自分の力だけで作ったことはない。

 あまり興味のないお菓子作りだったが、なんてことはない話をしながら作業をしていると母を独り占めした気がして何だか嬉しかった。

 出来上がった柏餅はご先祖様に供えてそれから祖父や父と兄弟で一緒に食べたものである。

 一番手間のかかるあんこは母の手作りだったので甘さが控えめで小豆の味が濃くて美味しかった。

 私は調子に乗って二個も三個も食べて、こら晩御飯が入らなくなるぞと父にたしなめられたものである。

 柏餅づくりが終わると母はすぐに晩御飯づくりを始めていた。

 子どもの日によく食べていたのは手巻き寿司だった。
 
 私が子どもの頃に流行りだしたメニューで家でお寿司が食べられるといううのは特別感があった。

 刺身用の柵をたくさん買い込んできて縦長の切り身にするだけで骨が折れたと思う。

 他の具としてはツナマヨや納豆、卵焼き、刺身のツマなど用意するものはたくさんあったと思う。

 子どもの日のご飯はいつもより少し早めに始まった。

 この日ばかりは主役が子どもで普段禁止されていうジュースも飲み放題という大盤振る舞いだった。

 乾杯を済ませて早速手に海苔を持ってお寿司を作っていく。

 私はイカ納豆が好きだったのでまずはそれを作った。

 不器用なのでうまく包めなかったがガブリと噛むとイカの甘い味と納豆の
風味が合わさって何とも美味しかった。

 一個食べると勢いがつくもので兄弟と競うように食べた。

 十貫くらい食べるとお腹いっぱいになった。

 大人が食べるのはそれからが本番でみんな楽しそうに食べていた。

 七人前はあった刺身が綺麗になくなっていく様子を見るのは楽しかった。

 ある程度食べて座が落ち着くと父が決まって背を測るぞーと言ってきた。

 その言葉を聞くと私たち兄弟はワッと居間の柱の前に並んだ。

 父が定規を持ってきて一人ずつ身長を測った。
 
 最初は弟からで小柄だったので一年であまり成長が無かった。

 ちぇっと言っている弟の後は私の番である。

 背伸びをしてごまかそうかと思ったがズルが大嫌いな父を怒らせると後が怖いので真面目にまっすぐ立った。

 おっ、ちょっと伸びちょると言われたので本当!と言って定規の先を見ると去年より一センチくらいしか伸びていなくてがっかりしたものである。

 大トリをつとめるのは兄で、横にも縦にも体格のいい兄はぐんぐんと身長を伸ばしていた。
 
 いざ計ってみると小柄だった祖父の身長を軽々超えていて得意満面になっていた。

 私はそれが悔しくてああ、背を伸ばしたいと切望したものである。
 
 各々の身長を測った後に定規で傷をつけてマジックで名前を書いてまた来年という事になった。

 この身長合戦は私が小学校を卒業するまで続いた。

 その間一度の兄を抜けなかったのは悔しい思い出である。

 最終的に兄は180センチを軽々超える高身長になったが私は175センチが精いっぱいの普通の体格に落ち着いた。

 なんだかんだ言って子どもの日は楽しい思い出が多い。

 いろいろイベントをしてくれた両親に感謝である。

 おとうさん、おかあさん、こんなに大きくなりました。

 五月五日の~背比べ~♪

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