できない事はできない。無理なものは無理。
「うんうん。当たり前だよね。」
って思う自分を感じつつも
「でも諦めきれない」
と主張する自分が前面に出た状態を
悟った方々は
執着している
というのかも知れないと思います。
ある時は「簡単に諦めるな」と言われ
ある時は「いいかげんに諦めなさい」と
言われるのは何故なのでしょう?
それは、本当に
私の納得に繋がるものなのか?
と疑問に思ったので、私は
周囲のアドバイスを聞きますが
受け入れるかどうかは自分で選んでいます。
そして私自身が
無理だ
と思うまでは存分に執着し、粘り強く
物事に取り組み、
満足したらあっさり引いたりしています。
過去の私はそうではありませんでした。
とても素直に聞き分けよく
誰かの決めた事に従い、簡単に諦めず
時には諦めてきました。
でも、ある時ふと気付いたのです。
あれ?これ納得しないまま選んじゃったけど
責任取るのは私だけなんじゃない?
だって私の人生だから。。。
で、私の責任を取れるわけじゃない人達の意見は
有り難く胸にしまい、しまった後、
違和感を感じた時にはこっそり取り出して
丁重にお空に解き放つ事にしました。
真面目で素直が良いって誰が決めたんですか?
ちゃらんぽらんが悪いって誰が言うんですか?
ポジティブな感情だけで生きる事なんて
できる人は一握りなんじゃないですか?
誰かに過去に言われた事を
自分の価値観と誤解する事なく
きっちり分けて、私が「良い」と決めた事に
従って生きています。
だから、私が「悪い人」と思っても他の人は
そう思わない事もあると思うし、
その逆もあると思っています。
例えば甘いお菓子としょっぱいお菓子を
組み合わせて食べるのが「良い」と
私は思っているので、そう思わない人は
「悪い」人ですが、その価値観を
広めようとか、相手を否定しようとかは
思わないのです。
恐らくこれを読んで下さったほとんどの方が
「そりゃあそうでしょうよ。」と思って下さる
のではないか?と思うのですが、
じゃあ何でそれが行動だった場合、
そう思わないのか?
不思議に
思いませんか?と私は思いました。
世の中に流通している「良い人」って
髪型は?身長は?体重は?血液型は?
それぞれ思い浮かべるのは恐らく
違っていて、何を良しとするかも
人それぞれのはずなのに
何となく「良い人」って、誰にでも分け隔てなく
優しくて気が利いて、いつもにこにこしていて
真面目で。。。
要は
都合が良い人
なんじゃないかと思ったのです。
だから私の世界には良い人も悪い人もいますが、
それは固定化されたものではなく、
「お菓子の食べ合わせにおいて」とか
「地球環境を守る視点で」とか
限定したものに過ぎず、
一貫したものではありません。
ましてや「存在自体が良い」人というなら
私はワンネスが好きなので全ての魂が該当
します。だから「括ること」に意義を見出して
いません。
ある先生が「店と言われた時にそれぞれが
思い浮かべる店は違うはずなのに
話ができるのは面白いと思う」と話して
下さった事があり、なるほど!と思いました。
違うからこそ、私は他の人の話を聞きたいです。
括りがあっても無くても、みんなが
のびのびと自分らしくいられて
足りないところも安心して、曝け出せる情況を
「個性が発揮されている」と
表現するのかも知れないと思いました。
最後まで読んで下さって
ありがとうございました🙇💕