グラレコ講師をやってみた
グラレコを教えるようになった経緯
グラレコを描いているうちに「せっかくだから、グラレコを教えてほしいなー」という依頼があるようになりました。
×○北陸会(自分主催の会)での講師
グラレコを教えてほしいという声が上がったので、見よう見まねでやってみました。
参考にしたのは、清水淳子さんの本です。
実際にやってみて、講師にとって大切なのは「対話」だなぁと感じました。
ある程度の準備は必要ですが、大切なのは、その場で必要なことに応じた講義だということを肌で感じました。
ファシる人フォーラムでの講師
9月15日に金沢で講師依頼がありましたので、グラファシの講師をしました。
講師依頼の経緯は、普段facebookでグラレコをあげていたところ、そのグラレコみてた方から「ファシリテーションの見本市やるから、その講師をしてほしい」という話があがりました。
講師の条件
① 時間は45分
② ファシリテーションの見本市のため、ファシリテーションにおけるグラフィックの意義を教えてほしい
③ グラフィックのこと知らない人ばかりだから、基本的なところから教えてほしい
④ 参加者にグラフィックを描く機会を作ってほしい
この話を聞いたときの感想
...これ、無理じゃねーか
説明だけで1時間くらいかかるのに、実践を盛り込む時間ないなーって思ったり...
先輩グラフィッカーに相談したら、1時間くらい話を聞いてくれて、
表情、吹き出し、矢印、文字、色
といった、主要な部分だけを教えて、講座の前後でお互いの自己紹介をするという手法を取りました。
よかった点は、短時間で実践を含めて経験ができたこと
悪かった点は、時間なさすぎて、場が消化不良を起こしていたこと
明らかに周りがついていけなくなってるという感じがひしひしと伝わってきました。
講師としても、消化不良をひしひしと感じてました...
「対話」に重点を置いた講義をしたかったのですが、とにかく時間が足りない...
そのあとのOSTでは消化不良を補うべく、模造紙広げて描くということをしました。
その中で「グラフィックファシリテーションってどういう場で使えますか?」ということを聞かれたので、僕の聞いた日本におけるグラフィックファシリテーションの経緯について話をしました。
コラム 日本におけるグラフィックファシリテーション
そもそもファシリテーションの文化が日本で広まったきっかけは阪神淡路大震災と言われてます。
日本のファシリテーターの祖である堀公俊さんが「災害時に既存の組織がいかに脆弱か」ということを指摘したところから、はじまりました。
その流れの中で、ファシリテーションの一つとしてグラフィックファシリテーションというものが出てきました。
2011年に東日本大震災が起こり、避難所において、老若男女が集まっての集団生活をせざるを得ない状況になりました。
その中で、「避難所生活の中で大人も子どもも同じ立場で意見を言い合うにはどのようにすればいいか」が課題としてあがりました。
グラフィックファシリテーションはその中でもひとつの役割を持てるのではないかという声があがりました。
その後、2013年に清水淳子さんが上記の本を出したのがきっかけで、広まっていったかと思います。
※間違ってたら、ごめんなさい。
この話をしたときに、小学校教員をしてる方から「学校教育の中で、いじめなどの問題をグラフィックにまとめていけば、より平等な意見を聞くことができるなー」との感想を頂きました。
今後の予定
2020年は、地元で教えてみたいと思っています。
今、高校生の発表を描くことが多く、その高校生から「教えてほしい」という声が上がり、教えていこうかなと思っています。
また、noteでも描き方を書いていきたいなと思っています。
描き方講座については、後日載せようかと思っています。