noteに求めてしまう文章

5つくらいnoteの記事を読んで感想を書こう。解し。

書いたがつまらなさすぎて、そして批判ですらない感想しか書けなくて、だから全部消した。だからこの段落と前の段落のあいだには5つの記事とそのURL、その感想が沈んでいる。そこに書かれていたのは「特に何も感じなかった。」ということがほとんどである。

私は読むのが下手なのだろうか。そんなことはない!と言い返す気力が私にはないが、よく読める場合も多いので読むのが下手なわけではないと思う。ただ、別に書かれていた記事たちがつまらなかったわけではないとも思う。ただ単に合わなかっただけだ。相性の問題。

なんというか、私は「どうしようもなくこういうふうに考えてしまうんです」みたいな文章が読みたいのだと思う。少なくともnoteにはそれを期待しているのだと思う。私は何度か書いた。「○○についてもう少し踏み込んでほしかった」と。それは言い換えれば「あなたは○○についてどういうふうに考えるんですか?考えてしまうんですか?」ということである。ただ、これを押し付けるのも申し訳ない、し、批判だと取られてもめんどくさいと思って消してしまった。30分くらいは使ったのに。

本を読めば良かった。それはその通りである。しかし、私はわざわざnoteを読んだのだ。

「どうしようもなくこういうふうに考えてしまうんです」、こういうところに辿り着いたら議論としては、文学としては終わりが来ていない感じがしても、部屋を出て、風が私の輪郭をなぞるのを感じてもなんの罪悪感も感じない。爽やかな思いとして、私は世界をズシンズシン歩く。家の近くの川まで歩く。傍に座る。イヤホンを外す。世界を吸い込む。耳からも吸い込む。そして「あ」と小さく小さく言う。

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