断哲五日目(禁断症状)
今日で断哲五日目。禁断症状のようなものが出てきた。ような気がする。
普段から哲学的なことしか考えていないとか、感じていないとか、そんなことは前からなのだが、「哲学書が読みたいよお。」という、「気持ち良くなりたいなあ。」という、そんな気持ちが強くなってきた。気がする。
私は禁煙も禁酒もやろうと思えばできると思う。というか、できる。というか別に、煙草もお酒もしようと思うからするのであって、別にいつも、習慣としてしているわけではない。だからおそらく、哲学はどちらかと言えば食事寄りなのだ。断食寄りなのだ。
思えば、断哲は別に禁哲でも良かったはずである。別にそれでも意味は通じていたはずである。それなのにも関わらず断哲にした。これは断哲と呼ばれていることが切断であり、おそらく中断であることを予期してのことなのかもしれない。
話は変わるが、結婚式の二次会の誘いを断った。なんというか、少し前なら、例えば一年前なら行っていたと思う。しかし、今回は断ることにした。「お風呂から上がったら「断哲五日目(禁断症状)」という文章を書くぞ!」とお風呂では思っていたのだが、なぜか回答していないことを思い出して、十五分くらいうんとかすんとか、Googleさんとか、そんなものを見ながら、断ることに踏ん切りをつけていた。誘ってくれることは嬉しいのだが、楽しめる気はしなかったので行くのはやめた。なんというか、結婚式というものへの興味が薄れてきた。それでもそれをちゃんとそれとして受け止めるために、そして諸々の視線に耐えるために、私は十五分くらい使ったのだ。
なんというか、そのふわふわした感じがこの文章にも残っている。ような気がする。「禁断症状」というのは「禁止」と「切断」及び「中断」が同居していて面白い。こんなことしか書けないし、書き継ぐこともできない。今日はこれくらいで許してもらおう。特に理由はないが断った。強いて言うなら「都合がつかなかった」のだ。私の心と体と人間の全部が。オリンパス。