おとぼけと上品さ

おとぼけの正体について、私は考えた。
遡ると,私はとても寒い夜をバイクで駆け抜けながら,ぶつぶつと考えている事を言っていこうという気持ちがして,それを実行した。
最初はデリダの『声と現象』において,自分の言っていることが理解できている,ということが批判されていて,自分もまさにそのような心持ちであり,そう思うことがデリダの意に反しているから,これは達成なのか否か,みたいなことをなんとなく考えていた。
私はその辺りで私の連想においては繋がりというのは私が回復するほかないのであるから,自分で回復するためにデリダがいることを考えた。
そのあとはあまり覚えていないのだが,「新しく覚えた言葉だ。使ってやろう。」という自尊心のようなものがよくわからないということを考えていたように思える。
言葉は,語と文脈が常に相克し,文脈というものがなければ意味がない語の不憫さを考えた。
そして、ソシュールに至り、体系というのは文脈でしかないとするのならば,個人が語ることの意味はもう一つのルート,つまり個人的なトラウマのルートによって語の意味を文脈からどのような方法によってかわからぬが解放することにあることが理解された。
加えて,ここではチョムスキーの話が出ていた。私はチョムスキーを名前くらいしか知らないのであるが,この「語の発生と文脈の発生」ということを繋ぎ止めるためにそれは出されたと考えられるのだろう。
そして、最後,家に着く少し前に,「おとぼけ」ということについて考え始めた。いや、家に着く少し前には考えることを終えていた。
結論は,文脈が不定になることへの憧れ,というものであった。「おとぼけ」をそれとして尊敬することができるのは,その「おとぼけ」をする人が達人であるから,という面白くない答えである。
「別様であり得た」ということ、そしてそれが豊かであると疑えないもの,そのような者の「おとぼけ」には文脈を未定にする力がある。
はぐらかしとは違う。ある種唆しているような,よくわからない誘惑性がそこには存在する。
そして、このように考えを終えてからは,まとめの時間に入るのだが,千葉雅也さんが『勉強の哲学』で「コード」などを使って同じようなことを言っていたなあ,と思い,帰ってから読むかあ,と思いながら,少ない五分くらいのドライブを楽しんだ。
私の運転は47分間のものであった。暗い森を抜けた。けっして都会ではなかった。なんというか、この「都会」,いや「都」という考え方は,結局帰ってから『勉強の哲学』を読まずに『ゼーロン』を読んでしまって、遠回りに進んでいくある種のユーモラスな達人性に触れてしまったから生まれたものである。

ここに書いたのは全くの残滓であり,思考はこれを生み出すのに一つも労力を必要としていない。いや、「知らないふり」をしているのである。
まったく、このようなことがあると,思考をわざわざ言葉にすることの下品さが顕現してくるから困ってしまう。「話す」ということは「おとぼけ」故に上品なのである。

あ、読み返して思い出したが,「愛」の話,キリスト教の話,「批判」の話などをしていた。
まあ、思い出せなかったからこれは「おとぼけ」なのであるが。

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