読んだきっかけ ツイッターで政治的な主張をしていると賛同意見だけではなくて反対意見の方からも批判的な引用やリプライをもらうことも多く、わたしは幾度となく反論してきた。しかし、双方ともに後味の悪い不毛な結果になり苦々しい気持ちで反省したことも多い。
しかし実際に「アライ(とされる)」側と「トランスヘイター(とされる)」側が対話をして穏やかな結果に終わったケースも稀ではあるが観察したことがあり、わたしはそのやり取りの様子をmin.tで記録した。
上記min.tまとめにある「こーとだじゅーるさんとの対話」をみると、それぞれが相手の意見を頭ごなしに否定することなくお互いの認識をすり合わせたり、自分がそう考えるに至った過程を開示していくような丁寧なやり取りの様子がうかがえる。
わたしもそういった前向きで建設的な姿勢を見習いたいと思い、自分と意見が異なる人とやり取りしたり日常でのコミュニケーションを改善するヒントになるのではないかと『話が通じない相手と話をする方法』を読んでみた。
特に印象的だったところ コールアウトは避ける 8.コールアウトは避けること。深刻な違反行為があったときを除いて。コール・アウトとは、誰かが倫理的に一線を踏み越えたときに、そのことを即座にかつ棘のある言い方で当人に伝えることで、恥をかかせようとすることである。 コール・アウトの後にはしばしば倫理的な指図が続く。「〇〇をすべきだ」とか「〇〇はすべきではない」といったように。コール・アウトすること、とりわけ相手が深く考えを巡らせているときにそうすることは、ラポールを損ねる。
第2章 入門:よい会話のための7つの基礎 #3 ラポール ラポール形成の方法 p.37~p.38 反差別運動に熱心な界隈を観察していると、「いいね罪」や「RT罪」の指摘とそれに対する反省文の表明のような現象が時々みかけられるのでわたしは自分が見かけた範囲で記録している。
こういったやり方では相手の自尊心を傷つけてしまうだろうし、第三者からは「つるし上げ」「見せしめ」のように見えるのでは? ラポールを形成するうえで相手のメンツを保つことの重要性は「黄金の橋を架ける」というチャプターにも書かれていた。
過ちを認めたら恥をかくことになるのだとしたら、自分が間違った考えをしていたと潔く認められる人はほとんどいないだろう。自分自身に対しても他人に対してもなかなか認めがたいことになってしまう。これは、道徳をめぐる問題で自分が間違った側にいると認めなくてはいけない場合や、自分の道徳的アイデンティティ(つまり、自分は善良な人間だという感覚)が揺るがされているときに最も顕著になる。(中略) ここで黄金の橋があれば、そうした重圧を取り除き、無知を認め考えを改めることのハードルがぐっとさがる。(中略)黄金の橋がとりわけ重要になるのは、相手が特定の問題について詳しく知っていると信じている場合、特定の道徳観に深くコミットしている場合、そして個人的・道徳的アイデンティティについての困難に直面している場合である。〔これらの場合、〕相手は誤りを認めて考えを改める代わりに、高すぎるプライド、強すぎる不安、あるいは恥をかくことに対する過剰な恐怖のせいで、誤った結論を守り続けようとしてしまうのだ。
第4章 中級:介入スキルを向上させる七つの方法 #2 「黄金の橋」を架けること p.138~p.139 相手に恥をかかせても構わない姿勢なのか、それとも「黄金の橋」を架ける姿勢なのかが「レスバ/レスバトル」と「対話」の違いなのかもしれない!(突然の気付き)
【参考】TLに流れてきた漫画「燃えろ!熱血レスバトル部!」のベーシックルールでは相手を憤死させた時点で勝利となっていた。
「燃えろ!熱血レスバトル部!」より これはレスバトルだ!!煽って 煽って 煽りまくる!
「燃えろ!熱血レスバトル部!」より 「伝令」メッセンジャー にならない効果的な会話についての研究文献をみれば、メッセージを伝えようとしてもうまくいかないことははっきりしている。その理由は、「伝令」メッセンジャー は政治的・道徳的な分断を超えて話すことができないどころか、気軽な雑談すらできないからだ――彼らは、ただメッセージを伝えるだけなのである。会話というのはやりとりである。他方で、メッセージは一方通行で運ばれる情報だ。「伝令」はある信念に肩入れした上で、聞く側は自分に耳を傾けた上で最終的にはこちらの議論を受け入れるものだという勘違いをしてしまっている。
第2章 入門:よい会話のための7つの基礎 #5 伝令はむしろ撃て〔口をつむぐこと〕 p.43~p.44 4.会話のパートナーが伝令になってしまっていると気づいても、その人の口を塞がないこと。 伝令になっているからといって会話のパートナーの口を塞いでしまったら、ラポールは破壊され、会話は転覆してしまう。「伝令はむしろ撃て」という教えは自らを戒めるものであるべきだ。その対象は己のうちにある「伝令」だけである。
第2章 入門:よい会話のための7つの基礎 #5 伝令はむしろ撃て〔口をつむぐこと〕 p.47 政治的なトピックで分断と対立が起こっている場合であっても、対話する際には党派性では考えるのではなくあくまでも対話しているの相手の主張に集中するべきだし、その相手に自分側の主張を伝えるだけではいつまで経っても平行線になってしまうということなのだろう。
相手の善性を信じる 劇的に異なった考えを持つ人と出会ったら、その人が無知か、狂っているか、邪悪だと思ってしまうこともある。が、この傾向には抗おう。代わりに、物事を別の視点から考えているのだ、とか、彼らが持ちうる最良の情報にもとづいて行動しているのだ、といったように考えるようにすることだ。 彼らも善いことをしようとしているのだが、コミュニケーションがあまり上手ではない〔のでそのことが分かりにくい〕、ということのほうが、実際に無知か狂っているか邪悪であることよりもずっと多い。
第2章 入門:よい会話のための7つの基礎 #6 意図 人は悪いことをわざと望んだりしない p.51 自分が「ヘイター」や「差別者」というレッテルを貼られて罵倒されるからといって相手にも同じことを返してしまうと、こういった善性を信じるきっかけを失いかねないとも思うので自分は慎重な立場でありたい。(と思いつつ心情としてはどうしてもムッとしてしまうのは事実🤦🏻♀️アンガーマネジメントしようねってこと……?)
ツイッターでは絶対に議論してはならない 4 ツイッターでは絶対に議論してはならない。 一つの投稿の上限が280文字というこのプラットフォームの構造上、発言のニュアンスは伝わりえず、特に問題なのが、大人数が群れて、たいていの場合荒々しく、悪いことをやらかしたとみなされた人に対する集団いじめが起こりやすいのだ。 (中略) 6 全くもって適切に自分をコントロールできないようであれば、匿名のツイッターアカウントを作って虚空に向かって怒りを吐き出すこと。 〔匿名アカウントを作ったとしても〕人にメンションを飛ばしてはならない(たいてい罵りだととられる)。ただ怒りを開放するだけにとどめること。
第3章 初級:人の考えを変えるための9つの方法 #5 ソーシャルメディアをつかいこなすこと p.100~p.101 そもそもこの本はツイッターでの対話に活かそうと思って読みはじめたのに「ツイッターでは絶対に議論してはならない」って言いきられちゃった……!\(^o^)/オワタ 著者が過去ツイッターに投稿した内容を実際の失敗例として紹介していて、それが結構火力強めの煽りで不謹慎だと思いつつもワロタ。 その反省を踏まえて「ソーシャルメディア上では揉めそうな会話を避けること」っていってるので説得力がすごい。 「#ソーシャルメディアをつかいこなすこと」のチャプターは特にツイ廃必読。
ラパポートのルール 他人との関わりを成功させたいという目標を達成するには、次のステップを順番に踏むことだ。 1 相手の立場を、明確に、鮮やかに、そして公平に、表現し直すこと。パートナーに「ありがとうございます、そういう言い方をしたほうがよかったですね」と言わしめるほどに。 2 同意している点をリスト化すること(特に、その論点が一般的だったり広く共有されているようなものではない場合)。 3 相手から学んだことがあればそれに言及すること。 4 反論や批判の言葉を口にしてもよいのは、これらすべてのステップを済ませてから。 ラパポートのルールをきちんと守ることはときに難しい。特に議論が白熱しているときはそうだろう。ただ、これを守れば会話がぐんと節度を備えた効果的なものになる。
第5章 上級:揉める会話のための5つのスキル #1 ラパポートのルールを守ること p.173 ここは素直になるほど参考になる~~~と思った。ツイッターの場合は140字の制限があるのでやっぱり限界がある。だからこそわたしも字数制限のないnoteでこうやって読書感想文や自分の意見をまとめて書いているわけだし。 というかよくよく考えればこれは相手を尊重しながら対話するときに節度を保つための最低限のルールかもしれない。
証拠(事実)の提示は有用ではない 証拠――または「事実」――を提示したところで、道徳的、社会的、あるいはアイデンティティのレベルで重要になるような意見を改めるに至ることはほぼない。(思い出してほしい、考えと矛盾するような証拠を突き付けられると、自分の考えのほうが正しいのだとますます信じ込んでしまうというバックファイア効果が起きるのだった。2章の原注34を参照のこと。このバックファイア効果がひとたび起きてしまうと、信者は信仰へのこだわりをさらに強めて、あなたのイライラは募り、ひいては会話の機会は台無しになってしまうことだろう。事実〔を振り回すこと〕こそが、バックファイア効果を引き起こしてしまう主たる原因なのだ。 )証拠を持ち出しても説得に失敗してしまうことの背景には、多くの心理的・社会的な理由があるけれども、中でも筆頭に挙げられるのは、〔一般に〕人は「善く」あることを深く気にしているということである。これが意味するのは、〔研究から得られた〕エビデンス〔から得られた含意〕にも一致しているのだが、価値を置いている仲間や他人から得られたフィードバックのほうが、人の考えに与える影響という点では、事実よりもはるかに有効だということだ。
第5章 上級:揉める会話のための5つのスキル #2 事実を避けること p.178 ここは目からウロコだった。 証拠(事実)を提示したら相手がむしろより頑なになってしまうなんて。俗に言う「事実陳列罪」というやつじゃん。事実に基づかないことを主張する相手に対して証拠を用いずに対話して説得するってウルトラハードモードに思えるけどいったいどうすればいいんや……\(^o^)/
と思ってたら、少し後にそのヒントが書かれていた。
考えが反証可能な場合には、伝令の役割は引き受けないことが肝要だ。事実を伝達してはならないし、さらに重要なことには、あなたの〔考え方における〕福音〔のような教義〕を伝えようとしてはならないということだ。そんなことをすれば、反証のためのプロセスが台無しになってしまう――会話のパートナーが、自分の考えを振り返り、本当に正しいことを正しいと納得するという能力を失ってしまうからである。このように、自分で反省・納得することを促すほうが、直接正しいことを伝えるよりも、はるかに考えを変えてもらうのに効果的なのだ。
第5章 上級:揉める会話のための5つのスキル #3 反証を探ること p.204 なんか英語のことわざ‘You may lead a horse to the water, but you can't make him drink.’=「馬を水飲み場まで連れては行けるが、水を飲ませることはできない」を思い出す。いくら事実や証拠があってこちらの言い分が正しいとしても無理強いはできないってことね。よくよく考えたら当たり前のことだった。
気になる本のリストにずっと入っている『事実はなぜ人の意見を変えられないのか 説得力と影響力の科学』という本が、とりわけこの部分に関連がありそうなので読んでみたい。
上級まででこのボリューム。ハードル高いよ~~~~。 目次をみると、以下のように ①入門:よい会話のための7つの基礎 ──通りすがりの他人から囚人まで、誰とでも会話する方法 ②初級:人の考えを変えるための9つの方法 ──人の認知に介入する方法 ③中級:介入スキルを向上させる7つの方法 ──(自分を含む)人の考えを変えるための効果的スキル ④上級:揉める会話のための5つのスキル ──会話の習慣の見直し方 ⑤超上級:心を閉ざした人と対話するための6つのスキル ──会話のバリアを突破すること ⑥達人:イデオローグと会話するための2つの鍵 ──動かざる人を動かす と、難易度別に紹介されている。 著者は必ずそれまでの過程を習熟してからより上の段階に進むことを何度も念を押していた。 たしかに基本的な対話の姿勢ができていないのにいきなり高度な介入ができるとは思えないので納得した。わたしも含めて、正直「入門」の内容すらできていない人がほとんどなんじゃないかな。
超上級編ではまさにこの本に書かれているような介入の手法を相手が 自 分 に 試してきてこちら側の考えを変えようとしている場合、どのように立場を逆転するかまで紹介されていて、漫画のバトル場面をみているようだった。
最後の達人編は、イデオローグ、つまりある特定の価値観にどっぷりとハマっている人との対話法でこれまでの総仕上げのよう。 しかも自分で自分自身を騙してイデオローグになっていないかどうかを確認するために、「自分が大切にしている信念を書き出す→自らそれに対する反証のための質問を考える→それへの答えを書き出してみる→道徳的価値観を共有していない人にそれをみせて荒唐無稽な回答がないか確認してもらう」という作業も推薦されていて参考になった。他者からのフィードバックって大事だよね。
おわりに 意見の違う相手とコミュニケーションをとるにあたっての技術を真面目に分析・解説していて、すごく真っ当な内容だった。 序盤の入門編は最初に会話の目的を考えたうえでラポール形成から始まっていてまさに傾聴の基礎という感じ。 そして全体を通して対話のパートナーを否定せずに善性を信頼して、たとえ自分にとって不快なことを言われたとしても感情をコントロールする姿勢が根底にあるように思う。 そしてわたしがXのアカウントで苦い経験となった数々のやり取りから得た教訓や心がけている姿勢のようなことがよく整理されていて学ぶところが多かった。(理論として分かってはいても実践できるかはまた別なんだけど)
『レトリックと詭弁』が相手に言いくるめられないために詭弁の使われ方をあらかじめ知っておくという「闇の魔術に対する防衛術」的だとしたら、『話が通じない相手と話をする方法』はあくまでも正攻法ってイメージ。
われわれは、言葉によって、自分の精神を、心を護らなくてはなりません。無神経な人間の言葉の暴力に対して、ハリネズミのように武装しましょう。うっかり触ったときには、針で刺す程度の痛みを与え、滅多なことは言わないように思い知らせてやるのです。覚えておいてください。われわれが議論に強くなろうとするのは、人間としての最低限のプライドを保つためです。本書は、そうした「心やさしき」人たちに、言葉で自分の心を守れるだけの議論術を身につけていただくために書かれた本です。
『レトリックと詭弁』まえがき p.9 逆説的ですが、詭弁を使わないようになるためには、詭弁など気にせず、ただ議論に勝つことだけを考えておればいい。なぜなら、議論に勝ちたいと思っているのは、こちらだけではなく、相手も同じだからです。そして、議論に勝つための最も効果的な方法は、相手の論に見られる虚偽を指摘することです。だから、相手が詭弁を使ってくれたら、あるいはそのような意図的なものでなくとも、何らかの倫理的虚偽を犯してくれたら、それは願ってもない絶好の機会なのだと言えましょう。 特に、相手の論の誤りであるゆえんを正確に分析し、専門用語でもってその虚偽形式を名指すことができたら、相手にとっては致命的な打撃になります。多くの議論教科書が虚偽論を含んでいるのはこのためです。それは相手の虚偽を見抜き、議論に勝つためであって、自らが虚偽を犯さないためではない。だが、自らが虚偽を見抜く力を持ち、それを指摘されたときの打撃の大きさを知れば、自分自身は用心して、うかつには詭弁を使わないようになるでしょう。自分が相手の虚偽を見抜けるように、相手もまた自分のそれを見抜けるのではないかと予想するからです。
『レトリックと詭弁』第一章 議論を制する「問いの技術」 p.36 この本はレスバトルで相手を負かすためではなくて建設的な議論のための対話のスキルに関心がある人に向いているだろう。 誰もが相手を煽ってイラつかせたり憤慨させたくて議論をしかけているわけではない。「レスバ」と「対話」は似て非なるものだ。 わたしは不快な引用やコメントをもらうことがあまりにも多すぎたせいかそんな基本的なことを忘れていたのかもしれない。
傾聴して対話するのは本当に難しい。 しかし本気で向き合おうとしている誠実な相手との前向きで建設的な対話は、新たな視点を得て自分の考えをより良い方向に変えるための助けにもなり得るだろう。 ここに書かれている内容を自分の経験から学習して実践できる人もいるんだろうけど、そういう才能のある人って(人生何回目……?)って思うし、わたしも含めて大多数のそうでない人はロールプレイや対話のやり取りを記録して振り返りつつ分析する訓練が必要になると思うので、対話マスターの道はまだまだ遠そう――