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ジョアンナの誕生日会が悲しかった。


この記事で外国人に助けられた経験があると書いたのですが、

そのプチ話を記していこと思います。

私は大学生の時に、パリ美術高等学校という美術大学に1年弱留学していました。

どうやらモネとかも、ここの出身らしい。


悲しい誕生日会

とある日、ジョアンナっていう友達の友達くらいの人の誕生日会があって

どういう経緯で行くことになったのか忘れたけど

すごい悲しかった話します。

そこはアパルトマンの3階。パリはエレベーターはほとんどなく、10階だろうとなんだろうと階段で上がります。なんでや。

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昔の写真引っ張り出して来ました↑

そこはほとんどフランス人。私くらいだけだった気がする、アジア人。

誕生日会って言っても、みんなソファーとか床に座ってワイン飲んだり、タバコ吸ったりだらだら過ごしてる。

正直「マジで来なきゃよかった・・・」と後悔するほど、フランス語についていけませんでした。

学校で丁寧に教えてくれる大人と話すのはなんとか耐えられるんですが、ここはもう若者の溜まり場。

言葉は通じなくても、なんとなくそういう風に友達の誕生日会をするのがカッコいい、みたいな雰囲気は感じ取っていました。

だから、ダウナーな感じで過ごす彼らを見て、丁寧にアジア人とコミュニケーションとろうとする人はおらず。

わたしも果敢に話かければいいんですが、、、、そんな勇気なかった。

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床に座り、よく分からない位置に座ってただしゃべっている人を見つめるだけ。。。。(人は怖くて撮れず、おしゃれな壁を撮る)

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3部屋の窓から、無駄に外を見つめる。あの夕日の方向に帰りたい。


すごく早く帰りたかったけど、帰る時なんて言えばいいか分からず結局第一弾が帰る時にしれっと出ることにしました。

その時に一緒だったのが、カミーユという女の子。

学校で同じアトリエでした。

カミーユはその日彼氏と一緒に来ていて、帰る時に初めて「彼氏いたんだ・・・」となりました。

最寄り駅まで、その帰る集団の一番後ろをトボトボ歩き・・・。

駅に着いた時、初めて乗る駅だったので帰り方が分からず路線図をじっと見つめていた時に、


「家まで帰れる?」


カミーユが話しかけてくれました。

彼女と話したのは初めてでした。

アトリエで、挨拶したらニコニコかえしてくれるのも彼女くらいだったので、優しい人なんだなぁと感じていました。

私は、その日初めて人と話せたことが嬉しくて彼女に色々聞いてしまいました。

「家はこの駅で、ここは初めてだから分からない」

というと、カミーユは路線図を指差して

「ここで乗り換えて、ここで降りて、ここだと早いから」

などと、英語で教えてくれました。

よく分からなかったので、微妙な表情をするわたしに何度も教えてくれて。(彼氏は若干めんどくさそうだったけど笑)

それで指を指してくれた駅で乗り換えて、なんとか深夜くらいには寮に戻れました。

・・・という話がもう6.7年も前のこと。

そんな前の、しかも5分くらいの出来事なのに今だに覚えているんです。

あの時の光景、路線図の色、半地下っぽいところで両側の登り階段があって。

人に優しくしてもらったことって、された側はずっと一生覚えてます。

多分、脳に深い切り込みが出来て、もうそのまま形状記憶してしまったんだと思います。

誕生日会はつまらないし、悲しかったけど、

カミーユとのあの5分間が、今でも大切な思い出です。

あんな悲しい誕生日会は、もう味わいたく無い〜〜〜。

毎日たくさん写真を撮っていたけど、この日はこの3枚しか撮ってなくて、ほんとうに悲しかったんだなぁと思う。

カミーユありがとう

いまでもフェイスブックでカミーユを見ると思い出します。

カミーユは覚えてないと思うけど〜。