デカい赤ちゃんとして生きてみる
じわじわ事態が動きそうなんだが手続きがたくさんあるし1人では動けないしひとつひとつに時間がかかって焦燥感だけが先走りMAX……しかし事態はすぐには動かないので(無限ループ)、家をきれいにしたり料理に凝ったり友人と遊んだりしつつ普通に疲れています。。
わたしは疲れても休む方法がわからない人種なので、心を赤ちゃん状態(比喩)にして休む方法を試しています。赤ちゃん状態→現状の整理、という形で休もうとしている。まぁ一番大切なのは睡眠だなと思うのだが。
いろんなことがうまく出来ないとか、何度もチャレンジして何度も失敗するとか、それで悲しくなるとか落ち込む度甘えだなんだ言われる状態が長年続いていた。わたしは自分の状態を理解できていなかったし、家族もそうで、わたしはポンコツで家族もポンコツだった。そしてそれを認めたくなかったのだと思う。出来ることが少なく、出来ないことが大半なのも根性がないとか気合いが足りないとか甘えだと言われて来て、わたしもそれを内面化していたので自分はダメなやつなんだと思っていた。一方家の外ではそこそこうまくやれる場もあり、自分の能力を評価されることもあった。今思えば家族の言うことを信じず、自分が自分として認められる場を信じればよかった。でもそれは今だから言える。当時は家族の言うことが正しいと信じさせられていたし、外の世界は間違いだらけだと思っていた。自分の能力が認められる場はまやかしだと思っていた。なのでわたしは家を出た後も自分と身の回りを信用せず家族との縁も切らなかった。
家族と離れて暮らしていても、今まで言われて来たことは毎日共にあった。ずっと自分のことをクソだと思っていた。生きる価値がないと思い込んだまま30年以上生きていた。今もクソではあるんだけどそこそこ自分好きマンになれたのであえて言うが、これ他人のことだったら哀れすぎてこれからを全力で幸せにしてあげたいレベルのことやぞ……。
そういうことに気づいたのでわたしは全力で自分を幸せにしてやることにした。
まずわたしは休み方がわからない。つらい時は休みを取れとか療養と言われても何をしていいかわからなかった。
きちんと人に言えることをやらなければならないと思って生きているので、友人と会って遊んだり、目標に向かって(他人に見える形で)努力していないと不安だった。どうしても体を動かせないとか何も出来ないとなった時に「あなたは休んでいいんですよ」と言われてもその方法が全くわからなかった。人生終わったと思った。
わたしは自分を恥ずかしいやつだと思った。恥ずかしすぎて外に出られなかったし、人と関わることすら申し訳ないと思った。
しかし1年経ち、投薬で体調が格段に良くなった今、何が恥ずかしいんだ?わたしは甘えているか?本当に根性がないのか?気合が足りないのか?と冷静に考えられるようになった。だって、休んでいる人や自分のことだけで手一杯の人に対して恥ずかしいやつだな、なんて思ったことがあるか?わたしはない。
むしろわたしの友人にも心身不調で生活を変えるしかなかった人も多々いる。その人たちに対して恥ずかしいとか惨めだとか寄生虫クソ野郎だとか思ったことはないし、フツーにまぁ休んでようなれや、くらいの感覚だった。たぶん、家族の枠の中では正しかったことが、世間ではそーでもないんだろう。わたしは家族よりいろんなものを見たし、たくさんの人と関わった。別に家族が正しいわけではなかった。縁切って2年くらい経つがそういうことがわかるようになってきた。やっと小さな枠から少し出ることが出来たのだろう。
まぁ他人にお前は甘えてるだ何だって言う人は自分も誰かに甘えたいんやろしどっかで勝手にやってろと思う。自分のことをうまく甘やかせないとそうなっちまうんだと思う。たまに心を赤ちゃんにしないと他人に攻撃的になるだろう。温泉に入ってアイスでも食え。そして赤ちゃんはたくさん寝ないといけない。わたしたちは眠ると脳がよく働くようになるからね。
今の大人、甘やかされ経験が足りないんだろうな。わたしも物や金を与えられた経験しかなかったからわかるよ。物質だけでは人の心は満たされない。
わたしはわたしを幸せにしてあげる方法をいくつか知っている。そしてもっと知りたい。探求に忙しいのも楽しい。余裕のない人たちの意地悪に付き合ってる暇はないわなぁ。。
生きていたいし絵を描きたいし文章書きたいしごはん食べたいと思う。