半分人間(半分創作)
自分ではけっこう外に出ていると思っているが、人と会うとレアキャラ扱いされて現実に気づく。わたしは外に出てもわざわざ人と会わない。
自分の意思でコーラを買ったことがない。例えばコンビニや自動販売機で小銭を使うとしたら別のものを買うだろう。たまに人から貰ったりしてコーラを飲むと「こんな味で一人前みたいな顔しやがって」と思う。ジンジャーエール買って飲んでもこんな味だったっけななんて思わないのに。
会っても他人の噂話しかしない女が目の前で話し続けている。わたしは相槌を打つが、いつまで聞けばいいんだろうと考えている。
今本当のことを言ったらどうなるだろう。
「君って人の話聞かないけど噂話はするよね、他人の何を知ってどこまでを自分の責任として話しているの?」
でも何も言わない。他人の噂話をすることがこの小さな社会に属するために必要なことだからだ。他人の話をしなければ自分が標的になる。目の前の女は無意識にそれを理解して行動しているだけなのだ。
女は話し終えると去っていった。この女と会っている間わたしはほとんど口を開かなかった。別のところでわたしの話をするんだろう。まぁ仕方ない。そんなもんだと思う。
わたしはほとんど誰とも深い関わりを持たなかった。深い関わりとは何なのか、どこが浅いと深いを分つ点なのか。どんな人と関わっても相手が噂話を始めると怖くなって距離を置いた。これに男女の別はない。人の話ばかりして人の中にいないと不安になる人たち。ひとりでいることすら出来ない者が大人みたいな顔をしていることが不可解だ。さみしいさみしいとひとりで泣いてばかりの人の方がまだマシに思える。
しかしそんな風に絡まる人たちを少し離れたところから見るのはある意味学習のようなものだ。わたしはまともに学校に通わなかったので今も人を見て学習している。まだ実際に関わるのは怖い。
わたしは成人して長いが、自分を大人だと思えたことがない。ただ、人と群れて心が学生のままみたいな大人を見ると、彼らもまた大人ではないという気がする。
わたしたちは子供に嘘をついている。
正月、わたしは「立派な人間になりたい」と思った。友人は「立派になる必要はない」と言った。わたしは「わたしひとりしか行動しなくても、困っている人を助けたい。空気を読まない」と言い直した。
若い時わたしは周りの人に少しだけ助けてほしかった。わたしは昔の自分を助けたいだけなのかもしれない。若くて孤独な誰かが自分よりも空気を選んだ人たちを恨んでしまう前にわたしが、と思った。だが若く繊細な人はわたしみたいな偽善者の罪滅ぼしを見抜くだろう。
「オバサンの助けなんていらない。アンタの戦いは無意味なんだよ」