思い切り笑いましょ
小学4年生になった春、自宅から歩いて行ける場所から、車を使って向かうような少し遠い歯医者へ転院しました。
小学2年生。乳歯が永久歯へと生え変わり始めた頃には、前歯2本はとても大きく、他の歯にどけどけと言わんばかりの主張をしていました。
何となく気になる存在になっていたものの、幼稚園の卒園アルバムを見ていると、乳歯の前歯もこれまた大きく、でもその頃は、それはそれで可愛いなぁと感じられました。
私は虫歯が出来やすい体質だったのか、毎日歯を磨き、母に仕上げ磨きをしてもらい、他の子と何ら変わりないように思えたけれど、何度も何度も歯医者は通っては、あのキーンと嫌な音と、針の痛さと、麻酔液のまずさに耐えながら治療を受けて来ました。
永久歯が増えるにつれて、歯の並びはがたがたとバランスの悪い曲線を描くように。
そして、この歯が恥ずかしく、私は写真撮影をするときに口を開けて笑うことが次第に出来なくなったのです。
当時はケータイ電話などなく、気軽に写真を撮ることもなかったのが救いだったけれど、学校の課外活動や集合写真でカメラを向けられると、いつもおちょぼ口のような口元で、目元だけが笑ったおかしな顔で写っていました。恥ずかしかった。
母は私の気持ちをわかっていたようで、当初通っていた歯医者で相談をしていたようでした。そして、転院に至ります。
前歯の大きさは歯並びの悪さを助長し、更に私は若干の出っ歯でした。そのため、矯正装置を使って不正咬合を治療することになりました。
当時と現在の治療に違いがあるのかどうかは分からないけれど、もう2度と経験したくない痛みの連続。
歯の表側に装置をつけ、歯を移動させる方法。裏側に装置をつける方法。マウスピース、ヘッドギア。
ありとあらゆる治療を行いました。
痛みのほかに特に印象に残っているのが、奥歯をペンチのような器具で引っこ抜いたこと。メリメリッと音がして、恐怖を感じました。
もう1つは、マウスピースを誤って捨ててしまったこと。忘れもしない、友達の家で鍋パーティーをした際に外して、ティッシュで包んだのでした。それは後に、他のごみと共に捨てられたのでしょう。
高価なものなので、親にも言えず、歯医者にも言えず、そのまま治療半ばで自ら終わりを告げました。
治療は完全ではなかったものの、私の歯は随分と綺麗な並びになりました。出っ歯もうまく収まってくれました。
その頃に専門学校生になった私は、個人写真でも集合写真でも、友達との写真でも、口を開け、歯を見せて笑うことができるようになっていました。
特に、課外活動で山中湖へ行った際に湖を背に撮った写真の笑顔は、今でも忘れません。
費用面で両親には本当にお世話になりましたし、病院への送迎と付添いをしてくれた祖父には感謝の気持ちでいっぱいです。
10年近くかけた矯正治療(途中放棄ですが)、私としては経験させてもらえてよかったなと感じています。
これからも、笑いたい時にはめいっぱい笑うぞ!
さいごに
我が息子も同じ道を辿り、高校卒業の個人写真はにっこり笑顔です。