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同級生と一緒に自分をいじめた中学時代を思い返す

中学生のころに世界のパワーバランスが男>女であることを理解した。

下ネタもセクハラも受け入れられる強い女でないといけないと思った。
男も居合わせる場では自衛のために男っぽい言葉遣いや仕草をした。
「ポッケに手を突っ込んで歩くな」と片思い先の男に注意されたときには「男にモテる女らしさ」と「男からの自衛」との間で葛藤したのを(彼が私のことを見てくれているという舞い上がり補正込みで)よく覚えている。

ただ、当時の私にとって女社会から追放されることほど恐ろしいことはなかったので、イツメン、連れション、シーブリーズの貸し借り、恋バナ、下世話な噂話などに参加することを欠かさず、女同士の政治的動向に細心の注意を払っていた。

中学後半ごろから制服がスカートであることと、夏がある国に生まれたことに本格的にうんざりするようになった。
腕や脚で存在感を放つ毛のせいだ。
女で剛毛はみっともないという価値観の国であることを、電車内が脱毛という文字で占拠されるよりも前に身をもって知った。
容姿をバカにされることの苦しみを想像することのできない同級生たちに耳タコができるほど弄られたからだ。

弱い女であるのが嫌だったので、イマジネーションが欠けた同級生と一緒に自らを嘲り続けた。

「けぶか」というあだ名で呼ばれたらちゃんと返事をした。
あだ名が変わっても笑顔で対応した。
初めて毛を剃って登校した日には自分から彼らに剃毛したことを報告し、肌を指さして一緒に笑った。

授業中にブラ線をなぞられたりブラを引っ張られたりした。
「変態かよ」と一緒に笑った。

一方的にバカにされるだけの弱い被害者にはなりたくなかった。
大人をガキの土俵に呼び出すような厄介な人間とも思われたくなかった。
自分で自分をいじめることで加害者側に立つ選択肢しか残されていなかった。

一軍の男子に嫌われることなく卒業できた。
人って、女ってこうやって世渡りするもんなんだと思った。
加害者と一緒に自分に加害すること、性的搾取に抵抗しないことが平和な人生に繋がるのだ。


現在、加害者の中には結婚して子どもを持つ者もいる。
正確には、親の払う高い金で有名私大に通わせてもらっている身分であるのに子どもを作ってしまいそのまま結婚し実家で窮屈そうに暮らすことになった者であるが。
風の噂でそれを知ったとき、やはり想像力が欠如しているのだなと思った。
その子に罪は無いが、彼の子がどう育つのか楽しみで仕方ない。


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