231110 生きるために死ぬこと
僕がブログやnoteの記事を書こうと思うときには、既に何か書きたいと思うエピソードや表現がぼんやり決まっているのだが、いま僕は書きたいと思う何かが特に無いまま、一方でなにかを書かなければならないという思いに駆られながら、キーボードを叩いている。
「やりたいことは無いのか」と言われることがあるが、僕はだいたいその場で口ごもってしまう。だから「こいつはやりたいことは無いのだ」と思われるのだろうが、本当に本当に「やりたいこと」を言っても無駄なのだ。自分がやりたいことと、所属や組織がやってほしいことと、世の中がやってほしいことが全て一致しないと、「やりたいこと」は「やりたいこと」として存立できない。
結局、「緩やかに死んでくれ」と言われているのだ。一致しないのであれば、自分を殺して一致しているように見せてくれ、ということなのだ。そんなのはゴメンだね。緩やかに死ぬくらいだったら、豪快に死ぬ。自らの価値として内面化できないものを、内面化することを許せないものを、内面化せざるを得ないくらいだったら。
人はみな生きるために死んでいる。死ぬために生きているのかもしれない、と思いながら、生きるために死んでいる。でも、それってつまり、死ぬために死んでいる、ってことなんだよね。
生きよう。生きねば。
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