ぶんちゃん

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最近の記事

20240913_「仕事に関する」悩み

※以下の文章は、すべて酒に酔っているときに書いています。 僕は、あまり「仕事に関する」話は積極的にしたくない。場を考えて、相手を考えて、ちょこちょこっと話したりはする。でも、仕事に支配されている自分でありたくないし、仕事以外の自分も含めて自分であるし、それ以外の自分が面白いのであればすなわち面白い自分であるような気もするから、あまり積極的にしたくはない。それに、大体仕事に関する話は、そういう話をしたあとで大体仄暗い気持ちになる。久々の旧友と会ったときに同窓の近況を一通り確認

    • 20240821_真夏の日記

      質問・感想・苦情・叱咤激励は以下から。 最近読んだ本渡邉雅子『「論理的思考」の社会的構築:フランスの思考表現スタイルと言葉の教育」 めちゃくちゃ面白かった。専門書なのだが、自分がここ数年読んだ本のなかでトップになるかもしれない。 そもそも「論理的思考」というものが「実在」するわけではなく社会的に「構築」されたものである、というのが大きな気づきだ。「論理的」であるとは「読み手にとって必要な部分が読み手の期待する順番に並んでいることから生まれる感覚」であり、それは自明なも

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      • 20240715_3連休で読んだ本

        3連休、特に予定が無かったので、ずっと本を読んでいた。読み終わったのは2冊だけなんだけど。 國分功一郎『目的への抵抗』 前半はコロナ規制とアガンベン。三権のなかで肥大化した行政権が「移動の自由」の放棄を唱えてしまい、我々はそれを易々と受け入れてしまった。 後半は「不要不急」という言葉から、「目的」という概念を紐解く。目的に還元できない振る舞いこそが人間らしさであるのに、全ての行為を目的に還元させようとしている。 講義録の書き起こしなので、まあまあ読みやすい。久々に現代思想

        • 20240505_最近(元気になった)

          こういうことがあったのですが、元気になりました。 何を「元気」と呼ぶのかは人それぞれだけど、「元気」ではある。久々に会った人から「めっちゃ顔色良くなりましたね!」と言われ、久々に帰省したところ家族にも「元気そうで良かった」と言われたので、「空元気」ではなさそうだ。 医者にも行かなくなった。薬の力は絶大だったけど思考力が落ちているような感じもあり、ズルズル飲み続けるよりはやめたほうが良いと思った。 好き勝手に生きる。やりたいことやる、やめたいことやめる。自分の時間を自由に使

        20240913_「仕事に関する」悩み

          20240114_2024年の目標を立てる

          もう1ヶ月の半分が終わろうとしていてムシャクシャしたので目標を立てた。時世に乗って(?)今年はビンゴ形式だ。下のフォーマットを拝借。 真ん中 心身健康で過ごせることが、結局一番。 1列目:生活習慣 ①早寝早起き:自分は夜型なのではないかとうっすら思ったりもするが、夜疲れた後に勉強や作業をするモチベーションと闘うのがアホらしいので朝型にしたい。今の季節のように日照時間が短い時間だと朝型にしておいた方がメンタルに良い。 ②運動・痩せる:「運動キャラでもなかったくせに働き出

          20240114_2024年の目標を立てる

          231231_2023年

          「良い1年だった〜〜〜!」とは、言い難い。僕は生きるのが下手すぎるので、そういう感情に至ることが稀なのだが。周りには本当に助けられた1年だった。そういう意味では、とても良い1年だった。阪神も優勝したので、その意味では、良かった。あとは引っ越しをしたり、色んなところに旅行に行ったりした。一方でメンタルをぶっ壊したりもした。年末ジャンボは900円しか当たらなかった。 9月のコンサートが大きな出来事だった。自分の音楽人生の第1章、長い長い、15年にも及んだ第1章は、最後の銅鑼の音と

          231215_心療内科に行った

          この場を始めとして、僕の日頃の言葉を見ている方ならばお察しなのだろうが、僕はここ最近完全にメンタルが壊れていた。戦う元気も、吠える元気も失い、朝が来て昼を迎え夜になるというサイクルが毎日来ることへの恐怖感で頭が一杯になり、夜も眠れず、眠ることすら怖い、といった具合だった。 自らの存在意義が見いだせない環境の中で、日々高圧的な言葉を浴びせられ、何が拠り所になるのかすら分からず、夜の繁華街を当てもなく歩き回った日もあった。 同じような境遇の中で一緒に悩みをこぼしてくれる人もいたし

          231215_心療内科に行った

          231110 生きるために死ぬこと

          僕がブログやnoteの記事を書こうと思うときには、既に何か書きたいと思うエピソードや表現がぼんやり決まっているのだが、いま僕は書きたいと思う何かが特に無いまま、一方でなにかを書かなければならないという思いに駆られながら、キーボードを叩いている。 「やりたいことは無いのか」と言われることがあるが、僕はだいたいその場で口ごもってしまう。だから「こいつはやりたいことは無いのだ」と思われるのだろうが、本当に本当に「やりたいこと」を言っても無駄なのだ。自分がやりたいことと、所属や組織

          231110 生きるために死ぬこと

          230703_Twitterが終わる

          もうさすがにダメだろう。 「おすすめ」と称して見たくもないツイートを見せられたり、サードパーティを締め出したりしていた時期から正直だいぶ怪しいなと思っていたが、今回のAPI騒動は致命的だ。 「結局他の人も見れていないのだから」と思う余り、自分から何か呟こうという気持ちが圧倒的に薄れてしまった。流れてくるのはイーロン・マスクへの異論(イーロンだけに)、移行先SNSの候補、その日のAPI規制が解除されたことに安堵する声ばかりだ。情報の質はどんどん下がっている。見る価値がなくなって

          230703_Twitterが終わる

          230626 しょうもないこと

          自らが生きる価値、自分が周囲に与えているもの、世界に与えているもの、そういったもののあまりの小ささ、無さに、気分が沈むときがある。 何をやっても、何かを勉強したとしても、読んだとしても、書いたとしても、話したとしても、それって意味があるのか、よく分からなくなって、何もやりたくなくなる。そのうちに年を重ねて、死ぬ。 生きるために生き、死ぬために生きている。ならなぜ毎日寝て起きる?なぜ生きる? そういう風に思うときも、結構あるなあ。

          230626 しょうもないこと

          230416 グレイモヤ

          今朝Twitterを何気なく見ていたところ、今日行われる「グレイモヤ」のチケット戻りが出ているという。発売開始即完売は当たり前、今やお笑いファンの中で「グレイモヤ」を知らないものはいない。次の瞬間にはチケットを確保、その次の瞬間には完売の2文字。 しかし圧巻だった。トリのダウ90000、2時間ライブの最後でありホール全体に疲れが見えてもおかしくないのだが、15分をバチバチに決めてきた。今日一のウケ連発で、場が揺れる揺れる。 牛女も超良かったし、ガクツケも超良かったし、ダイヤ

          230416 グレイモヤ

          230405 オモシロ旅行を考える

          先週末は京都に行って桜を見た。 葉桜とはいえ桜は圧巻で、寺社仏閣や川が豊かにある京都という街の奇跡さを改めて感じた一方、人の数は溢れんばかりで恐ろしい限りだった。 右京の方は観光のゴールデンルートから外れているからまだ落ち着いていたものの、清水寺や蹴上のある左京は、大型バスがひっきりなしに走り、それはそれは景気の良い風景だった。 自分の今までの経験を振り返ると、オモシロ旅行に類するものが多く(他人から見たときにその旅行が面白そうに感じるかはよく分からない)、それに比べて「京

          230405 オモシロ旅行を考える

          230326 生きることと生かされること

          平日、僕は生きるために仕事によって生かされていて、休日、僕はこのために生きている。 とはいえ、平日であっても、何かを成し遂げたり、人から感謝されたりしたときに、僕は生きている。 今週末はずっと雨で、特に予定もなく、遅く起きてしまい、生きる気力もなかった。 勉強をしたり本を読んだりしたりする気力もなく、所在なくSNSをダラダラと見ているとき、確かに僕は生かされていた。 夜、黙々と豚のロース肉を切り、炒め、トマト缶としめじと程々の調味料を入れて煮込む。キッチンで、僕は確かに生き

          230326 生きることと生かされること