画面越しかそうじゃないか
完全に個人的な話だ。根拠もない。
生で観るお笑いと、テレビで観るお笑いって別物なんだと痛感したのは大学生のとき。大学祭でお笑いイベントがあった。入場料は無料。にもかかわらず普段テレビでよく観る芸人が何組か登壇する、ぶっちゃけ「お得」なイベントだった。何年に誰が、などはかなり曖昧なのだけれど、サンドウィッチマンやジャングルポケットが来ていたことは確か。
わたしはそれまで、劇場やライブでの、「生のお笑い」を観た経験がなかった。今も変わらず、もっぱらテレビかYouTube。画面越しに漫才やコントなどを観ながら、「んふふ」「ぅわはははは」と笑えるのがたのしくてうれしい。
けど、「お笑い」なら何でもいいかと言われたら、もちろん違う。芸人やネタのテイストの好みはあるし、場合によっては「?」を頭に浮かべてしまうことだって沢山ある。
忘れられないのは、前述のお笑いイベントで、お笑いコンビ「インディアンス」が漫才をしていたときのこと。偶然ライブ会場でいい席を確保できて、眺めていた。
はっきり言ってしまえば、自分の中で目当ての芸人さんは別にいた。彼らのネタを観るのは、大変失礼だけど「ついで」くらいの感覚。
さらにこれは完全に個人的な、かつ数年前の話だけれど、わたしはちょっと彼らのネタが苦手だった。ボケの手数による勢いと声量がすごすぎて、力業で押されているような感覚がしていて付いていけなかった。テレビの画面の中で彼らのネタで笑っている人を見ると、「なぜ笑っているんだろう?」とさえ思ってしまっていた。
けど、あの日初めて生で観たときその感覚がひっくり返ったのを覚えている。
気づけば自分の口から笑い声が、自然と数え切れないほど出ていた。ボケの波に、「もうやめてくれ、酸欠になりそう」と涙が出る。テレビで観るのと、全然印象が違っていた。
どう違うの? と聞かれると、答えに窮してしまうのだけれど、場の空気感や、テレビでは(MCやお客さんが映ったりして)たまに映らなくなってしまうような2人の動き、“ノッている”感じ。現場に居合わせなければ感じ得ない可笑しさ、面白さがその場にあった。
何が言いたいかというと、まあ、12月18日に放送されたM-1の話。なんだかいつもいろいろな意見がネット上で巻き起こっている。審査員のコメントや点数、ネタについて、賛否両論いろいろと。けれどわたしはその度に、「現場と画面越しだと、全然違うものがあるんじゃないかな」と思う。あのリアルな現場に居合わせた人たちだけしか感じ取れないような、何かが。
だから、「あの漫才師、知らなかったけどおもしろかった!」「あのネタ好きだったな~」とか、そういう話だけで本当はいいんじゃないかなあ……と思ってしまう。まあ、色々やいやい話したくなる気持ちも、わかるんだけどさ。