8月15日 #かくつなぐめぐる
車の後部座席から降り、夏の強い日差しに目を細める。額から流れる汗を、Tシャツの袖に押し付けた。ファンデーションがつかないことを祈る。
2019年の8月、祖母が旅立って1年経ったころのこと。そのまま、先にゆっくりとお墓に向かって歩いている祖父のあとを追う。その後ろ姿が、なんだか愛しいと思った。彼の隣で、背の低い祖母が一緒に歩いている姿を想像しながら、スマートフォンで写真を撮る。
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「例年以上の猛暑日となりそうです」、「今日の熱中症予防を見てみましょう」……テレビの天気予報のコーナーでこんな言葉が聞こえてくると、夏だなあ、と思う。苦手な季節だ。暑さのせいでよく汗をかく。その汗ジミが気になって、毎回顔をしかめたくなってしまう。暑さだけで夏を認識するのなら、年々その期間は長くなっているように思う。つらい。はやく終わってほしい。
ところで、夏の思い出といえば? と聞かれると、わたしは4年前――2018年の8月15日が真っ先に思い浮かぶ。母方の祖母の命日。
祖母は、とてもよく笑う、おおらかでかわいらしい人だった。どちらかといえば静かで繊細、几帳面な祖父と、まるで凸と凹がぴったり合わさっているような夫婦だった。ああいうのがおしどり夫婦というのかもしれない、と今になって思う。
子どもの頃から大学を卒業するまで、夏休み中に最低1泊でも泊まれるとなると、2人が暮らしていた家を必ず尋ねた。
「まぁ〜! のんちゃん、よく来たねぇ、うれしいうれしい」
と、祖母は必ずニコニコしながら玄関まで迎えに来てくれたし、帰り際には、
「はやいねぇ。のんちゃん、また来てね。さみしいねぇ……」
と、わたしの手をさすりながら、しょんぼりしていた。毎回「うん、また来るよ。次は早くて正月かな」なんて返しながら、ちょっと照れくさかった。大好き! という気持ちが、ストレートに伝わってきていたから。思い返すと、わたしにとって一番甘えられる大人だったかもしれない。
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2018年8月15日は、ちょうどお盆の日。その日は、父と母、妹、伯母夫婦と従姉夫婦と従姉の娘、そして祖父と勢ぞろい。みんなでお墓参りをしてからとんかつ屋で昼食を食べ、祖母の見舞いに行く予定だった。
彼女はこの半年ほど前に体調を崩した。坂道を転がるように、あれよあれよという間に入院し、ほぼ寝たきりになっていた。
見舞いには何度か行けた。その度に、人って、こんなに弱々しくなってしまうの? と悲しくてやりきれない気持ちになる。気づくと、言葉を交わすのもむつかしくなっていた。正直、会うたび増えていく管の数に比例するように、はやくラクになってほしいと思うこともあった。
とんかつ屋で注文した、チーズ入りヒレカツ定食を待ちながら、みんなの話に耳を傾ける。従弟が今日、仕事の関係で来られなかったこと。でも、前日に祖母のところに見舞いに来ていたこと。わたしが社会人になったこと。一時帰国していた従姉らが、9月にまた海外へ戻ること。妹が、短期留学へ行く直前だということ。
次にこうやって大勢で集まるのは、だいぶ先になりそうだなあと思っていると、料理が到着し始めた。
そのとき、伯母のスマートフォンが振動し、発信元を見た彼女の顔色が変わった。「病院からだ」と、直感する。2週間くらい前、母に「ばぁば、もういつなにが起きてもおかしくないんだって」と言われていたから。
そこから、もうてんやわんや。ごはんはまともに食べられず、店員さんに謝りながら慌てて店を出て車に乗る。病院に到着し、早歩きで病室へ向かう。わたしたちが祖母のところへ到着するのとほぼ同じくらいのタイミングで、彼女は息を引き取った。息を整えようとすると、視界がにじんだ。だれかのため息が聞こえる。
まだ状況を理解するのがむつかしい従姉の子どもが「ひぃばあ、寝てるの?」ときょとんとしながら言った。そうだったらいいのにね。もう涙が止まらなかった。
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もうすぐ、あれから4回目のお盆がやってくる。コロナ禍でお墓参りだけの時もあったけれど、今年は会える人たちで食事でもできたら良いと思う。あの時のようにみんなが一堂に会するかどうかは、わからないけれど。
あの日もしかしたら、祖母がみんなに会いたくて、踏ん張ってくれていたんじゃないかと思わずにはいられない。愛でいっぱいの人だったから。もし1か月ほど前後していたら、すぐ向かえる距離にいる両親や伯母夫婦はともかく、孫は全員会いに来られたのか……。
彼女の命日は、当時台風が近づいていたこともあって、あまり良い天気とは言えなかった。暑いのは苦手だ。けど次に会いに行ったときは、気持ちの良い青空が広がっていてほしい。そして彼女に会いに行く、愛しい祖父の背中をまた見たいと思う。