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独習あるいは独学

ピアノの練習や学問は、なぜ毎日でなければならないのか。
定量的に言えば、1日サボっても、翌日2日分はできないから、ということになるだろう。
定性的に言えば、1日のブランクが忘却を加速させる、ということになるだろうか。

読書や学問において、知っていること(既知)の理解を深めるために読むことと、知らないこと(未知)を新たに知るために読むことがある。
ピアノにおいては、既知を弾くことはより滑らかに弾けるようになるためで、未知のパートを譜読みすることは、小節ごとが新たな挑戦といえる。
譜読みは疲れるが、あえて弾く意思を毎回持つべきだろう。既知を弾くことに時間をかけることが、しばしば練習効率を低下させているように思われる。

暗譜を心掛けるが、譜面台の楽譜を見ないようにするために鍵盤に視線を落とすのは賢明ではないだろう。では、どこを見るべきか。都度、楽譜を片付けるべきか、目を閉じるべきか。よくよく反省してみると、私の視線は常に楽譜か鍵盤のどちらかに注がれている。

ミスタッチの多くは、指使いが不安定であることか。
指使いを覚えるために、鍵盤を見ることは仕方のないことだろう。

独習と独学の違いは何かと疑問に思ったが、なんでも検索すればわかるというものでもないらしい。字義から違いはなんとなくわかるが、安易に検索してしまったことは、独習とも独学とも程遠い行為であろうか。
それにしても「独(獨)」とは、けもの編に虫(蜀)と書き、なかなか嫌な字である。独とは本来、避けるべきものなのであろうか。

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