アメリカン・ミュージック・ヒストリー第9章(1980年代全般・・・その1)
1. ニュー・ウェイヴとMTV(1980年代)
1980年代前半は、前項でも触れましたが、POPS黄金時代。
70年代終盤、セックス・ピストルズらのパンク・ロックは短命におわったものの、新たな時代感覚から多様なサウンド、ニュー・ウェイヴと呼ばれるミュージシャンが生まれてきました。また、1981年営業を開始したMTVの隆盛は、マイケル・ジャクソン、プリンス、マドンナ、ホイットニー・ヒューストン等のメガ・アーティストを生み出しました。
反面、1960年代後半から70年代の音楽シーンを牽引した西海岸のカントリー・ロック、ウェストコースト・ロックや深南部を中心としたスワンプ・ロックやサザン・ロック等は、表舞台から、すっかり影をひそめ、AORやL.Aメタルに取って代わられてしまいました。
私自身も含め、私が所属していたアメリカンルーツやカントリー系音楽クラブのメンバーも聴きたいバンドがなくなってしまった、と嘆いていたのを思い出します。
私見ですが、この頃からカントリー・ロックは、ロックフィールドからカントリーフィールドへ飲み込まれていったような気がしています。
ただ、誤解のないように少し補足すると、所謂ダウントゥーアース、或いは土の香りが強いアメリカンルーツ系音楽が、70年代後半から売れなくなったため、良くも悪くもポップス色を強めたロックやカントリーがポップスチャートを賑わせてきました。
そういった意味ではポップ化したことでロックやカントリーのヒット曲自体は増えたのかも知れませんが、クラッシック・ロック世代としては、何か釈然としなかったわけです。
そうした時代背景の中、私は1979年に大学を卒業し社会人になったこともあり80年代以降は、限られた自由時間の中で効率よく好きな音楽を楽しむようになっていきました。
まあ、つい最近話題になったドラマ「不適切にもほどがある」の舞台となった時代。「24時間戦えますか」なんて言うのもありましたね。
そういった時代に就職した世代なので、最もありがたかったのは、80年代の洋楽トレンドを小林克也の軽快な進行で手軽にわかりやすく伝えてくれた、土曜日11時25分~0時10分までのテレビ番組「ベストヒットUSA」でした。
(1) MTVと第二次ブリティッシュ・インヴェイジョン
79年から80年にかけてパンク/ニュー・ウェイブ革命を受け、ダイアー・ストレイツ、ポリス、エルヴィス・コステロ、プリテンダーズ等の若い才能が芽を出し、80年代前半に一世を風靡したMTVは、ヒット曲の生まれ方にも大きな変化をもたらしました。
飛躍的に広がったアメリカのケーブル・テレビ網によって、それまでのラジオのオンエアーと地道なツアー活動という古典的なパターンを大きく変化させ、特にイギリスの若いアーティストが積極的にこの新しい媒体を活用しデュラン・デュラン、ロバート・パーマー、a-ha、カルチャー・クラブ、ジャパン、スパンダー・バレエ、ユーリズミックス、ワム、ヒューマン・リーグ、シンプル・マインズ、ティアーズ・フォー・フィアーズ、シーナ・イーストンといったニュー・ロマンティック系、エレクトロニクス系のアーティストが次々とヒットを飛ばし、60年代のブリティッシュ・インヴェンジョンの再現ともいわれ、ベテラン組のデヴィッド・ボーイ、フィル・コリンズ、イエス、ピーター・ガブリエル、スティーヴ・ウインウッドや「フィジカル」ですっかりイメージチェンジしたオリヴィア・ニュートン・ジョン等も大ヒットを量産しました。
80年代半ば以降のイギリスでは、ソウルの影響の強いポップが主流になり、スタイル・カウンシル、ポール・ヤング、シンプリー・レッド、ペット・ショップ・ボーイズ、ブライアン・アダムス、ジョージ・マイケル,
シャーデー、スウィング・アウト・シスターズ等が、又ロックグループでは、デフ・レパードの「炎のターゲット」「ヒステリア」がメガトン級の大ヒットを記録しました。