アメリカン・ミュージック・ヒストリー第6章(1950年代全般・・・その3)
1950年代前半のブルース・シーンやカントリー・シーンは、第5章で触れましたが、この章でも補足的な意味でも少し触れておきたいと思います。
(2) シカゴブルースとメンフィスブルース
1940年代後半からシカゴの「モダン・シティ・ブルース」の台頭により黄金時代を迎えましたが、50年代に入り南部と北部の中継地点であり戦前からさまざまなブルースマンが拠点として活動したメンフィスの「モダン・アーバン・ブルース」がブルースシーンをリードしていきます。文字通りブルースの王様となったB・Bキング(個人的には、洋楽聴き初めのころ最初に買ったブルース歌手)やゴスペル唱法を取り入れ楽器を持たないブルース歌手の型を作ったボビー・ブルーム等ブルースとソウルとゴスペルの融合が図られていきました。
(3) ゴスペル
スピリチャルとゴスペルについては、何度も触れてきましたが50年代はゴスペル・ミュージックにとって大きな変換点を迎えます。この頃になるとゴスペルも、世俗的なリズム&ブルースと同じようにラジオやレコードによって大きく広がっていき、ニューオリンズ出身のゴスペルの女王、マヘリア・ジャクソンやザ・ソウル・スターラーズに在籍していたサム・クックがゴスペルスターとして全米に知られるようになり人気を誇りました。また、4人編成が基本構成のゴスペル・コーラスは、ゴスペル・カルテットと呼ばれファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピやサム・クックがポップの世界に転向した(かなりの非難があったことは有名ですね)ザ・ソウル・スターラーズの跡を継いだジョニー・テイラー等のアーティストを生み出しました。
(4)カントリー
カントリーソングは、一部の例外を除き(ピストル・パッキン・ママ)カントリーチャートでヒットしてもカントリー歌手バージョンでは、全米ヒットチャートでヒットするケースは稀でしたが、50年代に入ると従来以上にポピュラー歌手がカントリーソングを歌い大ヒット(テネシー・ワルツ、コールド・コールド・ハート等)させるパターンが増えてきます。そして、いよいよハンク・ウイリアムスの登場でカントリー歌手の本人バージョンが、そのままの形で全国ヒットになるようになり、エルヴィス登場後は、カントリーチャートもその影響を受けブギやロカビリー調がブームとなっていきました。同時に従来のカントリー特有のフィドルやバンジョーによるヒルビリーイメージを排除し、エディ・アーノルド、ジム・リーヴス、パツィ・クラインといった、臭みのないポップス性の強い歌手を前面に出したサウンド「ナッシュビル・サウンド」が流行し、カントリー&ウェスタンの主流になっていきました。
若々しいBBキングの初期の名盤
スリル・イズ・ゴーンが衝撃的で、ブルースに興味が湧きました
このジャケット、何か良いですよね!
CDより映像を見ると凄さが伝わりますね
神の音楽から悪魔の音楽に鞍替えしたので、風当たりは相当なものだったんでしょうね
実力、迫力はNO.1のゴスペルグループ
実は、エルヴィスが、初めてグラミー賞を受賞したのは、このゴスペルアルバムでした
個人的には、カントリー界のビング・クロスビーだと思います!
ナッシュビル・カントリーと言えば、ジム・リーヴスとパッツィー・クライン。
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