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アメリカン・ミュージック・ヒストリー第5章(1940年代後半~50年代中頃まで・・・その3)


(2) ヒルビリー~カントリー&ウェスタンへ(1949年)


 レイス・ミュージック同様、ヒルビリー・ミュージックがアメリカ中に広がっていくと最早ヒルビリー音楽と言う枠組みでは捉えられなくなって来ます。レッド・フォーリー、エディ・アーノルドに代表されるカントリー・クルーナーの登場、前項でも触れたシンギング・カウボーイ人気、そしてウェスタン・スウィングのエレキやスチールギターとジミー・ロジャースのヒルビリー音楽を掛け合わせ、テキサス、オクラホマ、ミズリーの中西部特有のブギのリズムと共に、安酒場で演奏するホンキー・トンクスタイル(ややこしいことに中西部及び西海岸では、このホンキー・トンクスタイルのことをヒルビリー・ミュージックと呼んだようで混乱しちゃいますね)の確立等、さまざまなタイプのカントリーミュージックが登場してきました。

 特にホンキー・トンクは、テキサス出身のアーネスト・ダヴやアル・デクスター(ピストル・パッキン・ママで有名)を初めとして、女性歌手のキティ・ウェルズ、そしてハンク・ウイリアムスの登場で頂点を迎え、その後もレフティ・フリッツェル、ウェブ・ピアス、ハンク・スノウ、マーティ・ロビンス等々、人気歌手が続出します。

 また、テネシー・アニー・フォード、ムーン・マリカン、デルモア・ブラザース、マール・トラヴィスのヒルビリー・ブギやビル・モンローのブルーグラスボーイズにレスター・フラットとアール・スクラッグッスが加わったことによりブルーグラス・ミュージックが確立され大人気となる等、ヒルビリー、ヒルビリー・ブギ、カントリー、ウェスタン、ブルーグラスと多様化し、音楽業界では、1944年「フォーク・ソング・アンド・ブルース」1949年には「カントリー」または「カントリー&ウェスタン」(現在のビルボードカントリーチャートの前身は1944年にスタート)と記載されるようになりました。

 こうした変遷を見ると、広い意味でのカントリーミュージックは、やはり白人のフォーク&ブルースだとも言えるのではないかと思います。

*社会派フォークの弾圧

 一方、前章で触れたジャンルで言うところのフォークは、1950年にウィーバーズの「グッドナイト・アイリーン」のNO.1ヒットが生まれましたが、悪名高きマッカーシー上院議員の「赤狩り」により、共産主義者というレッテルを張られ弾圧を受け、ヒットチャート上の社会派フォークは50年代後半のフォーク・リバイバル運動でNO.1ヒットとなった1958年のキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」まで、冬の時代を迎えることとなってしまいました。


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カントリーを全国区にしたのは、この人なんでしょうね。良くも悪くも日本にもカントリーを根付かせました
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ハンク亡き後、天下を取ったのは、この人ウェブ・ピアース?
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西海岸のカントリースター、16トンの大ヒットで有名です
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この人のヒルビリー・ブギ・ピアノは、リトル・リチャードやジェリー・リー・ルイスにも影響を与えたと思います
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ギャロッピング・ギターの名手、元祖16トン。バーズ等で有名な「I am a pilgrim」も名曲
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この兄弟のビートは、ロカビリー誕生を予感させます
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私の投稿にも再三出てくる、ブルーグラス・ミュージックの父「ビル・モンロー」
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モダンフォークの始祖、特にPPMは影響大だと感じられますね


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