
アメリカン・ミュージック・ヒストリー第4章(1930年代後半~40年代中頃まで・・・その1)
4. スウィング・エイジ(1930年代後半~40年代中頃)
大不況から立ち直りを見せてきた1935年以降、ベニー・グッドマン(1938年、クラッシックの殿堂カーネギー・ホールにて初めてジャズ・コンサートを開き、スウィング王と称されました)を皮切りにジミー&トミーのドーシー兄弟、ガイ・ロンバート、グレン・ミラー、ハリー・ジェイムス、アーティ・ショウ、等の白人スウィング、ビッグバンドが大流行しました。また、1935年にアメリカ・オペラの最高傑作と評価されたジョージ・ガーシュウィン作の「ポーギーとベス」(サマータイムが有名ですね)が初演されるなど華やかなミュージカル時代に入っていきます。
(1)ビッグバンドとソロヴォーカルの黄金時代
大恐慌による不況で黒人ミュージシャンは、仕事を失う一方で白人楽団の「スウィート・ミュージック」が人気を独占しました。「スウィート」は、「ホット」の反意語で刺激や興奮を削ぎ落した文字通りの甘い雰囲気を指し、こうしたスウィング・ジャズは、黒人ジャズを取り入れながら白人大衆にも理解しやすく踊りやすい音楽に仕立てたもので、10代の若者を含む白人大衆に広まったという意味では、画期的な出来事だったようです。
このように30年代~40年代半ばにかけたビッグバンド全盛時代にとって専属の人気歌手は人気を左右する大きな要素でもありましたが、40年代に入るとそうした花形専属歌手が、ソロ歌手として独立していきます。
全盛期を迎えたビング・クロスビー、フランク・シナトラ、ペリー・コモ、白人女性では、ダイナ・ショア、ペギー・リー、ジョー・スタッフォード、ヘレン・フォレスト等、黒人女性では、ビリー・ホリデーやエラ・フィッツジェラルドも頭角を現していきました。
又、ニューヨークの黒人エンター・ティナーでは、ファッツ・ウォーラー、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン楽団に続き、キャブ・キャロウェイ楽団も人気を博し、中西部のカンザス・シティからは1937年ベニー・モーテンから引継いだ「カウント・ベイシー楽団」や「ジェイ・マクシャン楽団」がニューヨークに進出し、その強力なリズムセクションでミュージシャンの間で評判になりました。
*ビルボードヒットチャート
ちょっと余談になりますが、洋楽を聴き始めた頃、日本独自の洋楽チャートと共に「ビルボードの(全米)ポップスチャート」に興味を持ち始めました。ビルボードのヒットチャートを遡ってみると、ほとんどの本が1955年~56年位から始まっていた(エルヴィスのメジャーデビュー時期、つまりロックン・ロールの誕生時期)ので、それ以前の歴史を調べてみたところ何とビルボードの創業は1894年とありました。
その後、ビルボード誌は、広大なアメリカのチャートを集計するため、いろいろ試行錯誤があったのだと思いますが、1914年に初めて全米のポピュラーソングチャートを掲載。1940年7月からジュークボックス、ラジオ、楽譜、レコードを独自の統計から割り出したヒットチャートを「音楽人気チャート」として掲載し、その後1958年8月以後、シングルレコードの販売とラジオ局のリクエストをもとに「HOT100」という100曲の最も流行している曲を掲載するようになったとのことです。
そこで今回、アメリカン・ミュージック・ヒストリー(20世紀ガイドブック)をまとめるにあたり、できるだけ遡ってオムニバスレコードやCDを探してみました。1955年のロックン・ロール時代の幕開けを象徴する「ロック・アラウンド・ザ・クロック」から始まっているものは、かなり出回っていますが、それ以前のヒット曲をまとめたもの(現在は、精度はともかくとしてネットである程度閲覧できますが)は、なかなか見つからなかったのですが近いものが見つかったので紹介します。
A.1920年代「THEN THE ROARINGS 20s」
B.1930年代「THEN THE SWINGING 30s」
C.1940年代「AMERICA’S NUMBER ONES 40s」
D.1950年代「AMERICA’S NUMBER ONES 50s」
注・・・1940年代、50年代は、ヒットチャートNO1を時系列 に網羅したものです。
この音源を聴いて改めて感じたことは、1920年代後半から1940年代全般(一部50年代前半も含め)までのヒットチャートNO1及びそれに準じたヒット曲は、(アメリカの歴史文化を考えれば当然と言えば当然ですが)白人向けジャズ、ダンス音楽、今でいうスタンダード、ポピュラー音楽が圧倒的に多いということですね。













