アメリカン・ミュージックヒストリー・第8章(1970年代全般・・・その11)
(14)ワールドミュージック
アメリカンミュージックは、世界中に影響を与えましたが、さまざま
なワールドミュージックもアメリカンミュージックに影響を与え、新しい
音楽シーンを切り開いていきました。
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ、ジミー・クリフの登場で世界的
にレゲエ・ミュージックが人気を呼び、そのリズムはエリック・クラプ
トンを初め多くのロックミュージックやポップスにまで幅広く影響を与えました。また、アフリカのフェラ・クティは、ナイジェリアを代表する現代的なポピュラー音楽を作り上げアフロ・ビートと称しました。
一方、ヨーロッパの西ドイツではクラフトワークが、エレクトロ・ポップ(テクノ・サウンド)の原点であると言われているアウトバーンを発表しテクノ・ポップが人気を呼び、アメリカからディーヴォ、日本からは、YMOが登場してきます。
(15)ジャパニーズ・フォーク、ロックとニュー・ミュージック
70年代の日本の音楽シーンは、前半は、吉田拓郎、井上陽水、南こうせつとかぐや姫等に代表される一般的には、フォークブームと、呼ばれていますが、個人的にはやや抵抗があります。
ジャンルとしてのフォークと呼ぶからには、ウディ・ガスリー、ピート・シーガー等に端を発したもので、少なからず社会や政治等に対する抵抗やメッセージ性が欠かせません。
そうした意味では、60年代後半の岡林信康「私たちの望むものは」や五つの赤い風船「遠い世界に」高田渡「自衛隊に入ろう」等の歌詞やアメリカン・フォークのスタンダードと言える「平和を我等に」「わが祖国」等は、私たち、僕ら、我ら、我が、皆さん方等、世の中に対して連帯感や広く呼び掛けていくものを感じさせてくれます。
しかしながら70年代前半の吉田拓郎の「今日までそして明日から」や井上陽水の「傘がない」等は、私たちから私と言う自己を見つめ直す、内省的なシンガーソングライター系の歌詞になってきます。
そして70年代半ばにかけて大ヒットした「結婚しようよ」や「心もよう」「神田川」になってくると、恋愛ソングになり最早立派なポップソングと言えると思います。
長くなりそうなので話しをもどすことにします。
和製アメリカンルーツ&ウェストコースト系やブリティッシュ音楽としては、「はっぴいえんど」を先頭にして、小坂忠、鈴木慶一とムーンライダース、はちみつぱい、センチメンタル・シティ・ロマンス、めんたんぴん、フラワー・トラベリン・バンド、ブルース・クリエイション、サディスティック・ミカ・バンド、頭脳警察(PANTA)、四人囃子、キャロル(矢沢永吉)、西岡恭三、久保田麻琴と夕焼け楽団、オレンジ・カウンティ・ブラザース、上田正樹、憂歌団、ダウンタウン・ブギウギ・バンド等のジャパニーズ・(ロック、ブルース、カントリー、ソウル等)の誕生。
中頃から後半にかけては、松任谷(荒井)由実、中島みゆき、八神純子、尾崎亜美、高橋真梨子、世良公則、チャー、アリス、柳ジョージ、原田真二、サザン・オールスターズ、大橋純子、高中正義等のニュー・ミュージック及びフュージョン系の台頭。
一方歌謡曲では、小柳ルミ子、南沙織、天地真理、森昌子、桜田淳子、山口百恵、岩崎宏美、キャンディーズ、ピンクレディ、郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹といったアイドルや森進一、五木ひろし、布施明、沢田研二、八代亜紀、ちあきなおみ、演歌では引続き、北島三郎、都はるみ、そしてアイドルから転向した石川さゆり等が一時代を築きました。