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アメリカン・ミュージック・ヒストリー第4章(1930年代後半~40年代中頃まで・・・その3)


(3) ヒルビリー(カントリー)とウェスタン

 かなり多くの日本人が一般的に持っているカントリー音楽のイメージは、都会的ではない、テンガロンハットやウェスタンブーツを履いたカウボーイ風なミュージシャンが歌ったり楽器(フィドルやスティールギター等)を弾いたりする南部や西部の白人音楽を指しているような気がしています。

 これは戦後、進駐軍相手の酒場でジャズと共に流行したカントリーミュージック全般が、大ヒットした西部劇映画の影響で、ウェスタンと呼ばれたことにあると思います。

 戦後日本のカントリーミュージックについては次章で触れる予定ですが、この章で敢えて触れたのは、戦前の1930年代~40年代アメリカのヒルビリー、カウボーイ・ソング(西部劇ウェスタン)、ウェスタン・スウィング、カントリーダンス音楽、そして次の章でも出てくる戦後のホンキー・トンク、ブルーグラス、ヒルビリー・ブギ、ナッシュビル・サウンド、ベイカーズ・フィールド・サウンドとはどういうものなのかを理解し、またそれらの音楽が発生した地域的特色(アパラチア周辺のヴァージニア・ケンタッキー・ノースカロライナ、テネシー・ナッシュビル、そして中西部以西のシカゴ、テキサス&オクラホマ、カリフォルニア等)とも関連付けて整理しておかないと、広くて深いカントリーの森で彷徨(日本人のカントリーミュージックに対する間違った認識や偏見の原因)ことになってしまうような気がしたからです。

 さて本題に入ります。この時代のヒルビリー音楽は、前項で登場したヒルビリー最初の2大スター(ジミー・ロジャース、カーター・ファミリー)に続き、グランド・オール・オープリーで大人気者になったのが、ワバッシュ・キャノン・ボールが大ヒットしたロイ・エイカフです。この人はフィドルやダンスが中心だったグランド・オール・オープリーを歌中心に変えていった功績も大きかったようですね。そしてブルー・スカイ・ボーイズやモンロー・ブラザース(後のブルーグラスの創始者ビル・モンローと兄チャーリーのグループ)、デルモア・ブラザース、ルーヴィン・ブラザース、等の兄弟デュオも人気になっていきました。

*シンギング・カウボーイとウェスタン・スィング

 アメリカでは既にこの時代から、かっこ良いカウボーイがハリウッド映画やテレビで大活躍する西部劇ブームとなり、歌うカウボーイとして「ジーン・オートリー」やサンズ・オブ・パイオニアの「ロイ・ロジャース」、又カウ・ガールとしてパッツィー・モンタナ等が登場し大人気になりました。

 この時代のウェスタンは、既に商業的カウボーイ・ソングなので、まだ鉄道網が敷設される前の時代(1880年代)に牛を追って過酷な労働を強いられた、リアルなカウボーイ達のカウボーイ・ソングではないので区別する必要があります。従って、伝統的なヒルビリー音楽ともほとんど関係はありません。
    
 又この頃、テキサス、オクラホマ等の中西部の酒場を中心に流行したホンキートンク・カントリー(アーネスト・タブが、この音楽の確立に貢献)と、ディキシー・ランド・ジャズやブルースの要素を取り入れたダンス・ホール音楽として、カントリーに初めてドラムやエレキギターを使用した、ボブ・ウィルスのウェスタン・スウィングがビッグバンド・スィングに匹敵するほどの大人気となり、南部から西部(後のカリフォルニア・ベイカーズフィールド・カントリー等にも大きく影響)にかけて大きく発展していきました。


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早逝したジミーロジャースに次ぐヒルビリースター

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兄弟デュオ、サニー・サイド・オブ・ライフは、ナターシャセヴンがカバーしました

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ブルーグラスの父、ビルモンローが兄チャーリーと結成していたデュオ

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ホワイトブギ、ブルースが得意なデルモア・ブラザース

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名曲が多くカントリー、ブルーグラスのスタンダード曲多し

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元祖カウボーイ、ウエスタン歌手のジーン・オートリー

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エルトン・ジョンの名盤「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」で歌われた「歌うカウボーイ・ロイ・ロジャース」本人

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ホンキー・トンクカントリー初期の大スター

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ウエスタン・スウィングを大きく世に広めたボブ・ウイリス

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