アメリカン・ミュージック・ヒストリー第2章(1890年~1920年代中頃まで・・・その3)
(2)ブルースの発見
南北戦争が終結し、奴隷制廃止により自由を手に入れたはずの黒人
は、法律上は自由でも現実の生活は以前にも増して厳しい状況に追い込まれてしまいます。「こんなはずじゃない!」と言う叫びがブルースを生んだのではないかと思っています。
ブルースは、南北戦争(1861年~65年)後に南部(特に深南部)一帯で広がった音楽で誰が最初に歌いだしたのかは良くわかりませんが、1903年にWCハンディが、ミッシシッピー・デルタ地帯にあるタトワイラーという駅で汽車待ちをしている間、貧しそうな黒人がギターを抱えナイフを使い、今まで聞いたことのないような悲しい音色で演奏している音楽と出会ったことが始まりだとされています。従ってブルースは、この時に作られたのではなく発見されたという訳です。WCハンディは、その後にセントルイス・ブルース等多くのブルースを作曲し「ブルースの父」と呼ばれるようになりました。
*カントリーブルース
三井徹さんの著書を参考にさせていただくと、ブルース(この時代はカントリーブルースと呼びます)は、地域によって大きくは3つに分類されます。
1つ目は、ミッシシピー・デルタ・スタイルと呼ばれおり、ボトルネック等も多く最も激しくプリミティブで代表的なブルースマンは、チャーリー・パットン、サン・ハウス、そして少し後ですが、かのクロスロード伝説で有名なロバート・ジョンソン等も入ります。
2つ目はテキキサス・スタイルで、デルタブルースほどヒステリックでなくボトルネックをあまり使用しないようです。ブラインド・レモン・ジェファーソンや有名になったのは戦後ですが、ライトニン・ホプキンスは、カントリーブルースの最高峰の一人です。
3つ目は、イースタン・スタイル(南北キャロライナ州、ジョージア州、フロリダ州の東海岸)で、地域柄白人文化との融合度合いが高くソフトな感じがするブルースで、ブラインド・ウイリー・マクテル、ブラインド・ボーイ・フラー、サニー・テリーとブラウニー・マギー等がいます。また、フロリダ出身でキング・オブ・ラグタイムギターと称されたブラインド・ブレイクもここで紹介しておきます。
戦前ブルースのすべて(4枚組)
ミッシシッピー・デルタ・スタイル初期を代表する2人。2人と一緒に演奏しているWillie Brownは(ジャケット下に記載されている))映画「クロスロード」で伝説のブルースマンとして登場しています。
もちろんロバート・ジョンソンの「クロスロード伝説」が、モチーフです。
テキサス・スタイルの「ブラインド・レモン・ジェファーソン」。憂歌団の名曲「シカゴ・バウンド」の歌詞に出てくる「○○のレモンも死んじまったし・・・」の人ですね。
テキサス・ブルースの最高峰「ライトニン・ホプキンス」。戦前から歌っていましたが、活躍したのは戦後でした。
ジョージア州出身のイースタン・スタイル・ブルース。オールマン・ブラザース・バンドの「ステイボロ・ブルース」のカバーは、あまりにも有名ですね。
ラグタイムギターの名手。「ディティ・ワ・ディティ」は、ライ・クーダーが、アルバム「パラダイス・ランチ」でもカバーしています。