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Favorite Music (Now&Then)【5】 バーズ&フライング・バリット・ブラザース

 

 バーズは、1965年「ミスター・タンブリンマン」が、全米NO.1ヒットになり、ウェストコースト版フォーク・ロックの誕生となりました。

 結成時のメンバーは、ロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビー、クリス・ヒルマン、マイケル・クラーク。前回出てきたブルーグラス畑のクリス・ヒルマン以外は、フォーク畑のメンバーですが、共通するのは元来アコースティック系だったので、エレキ楽器やドラムは不慣れだったようでミスター・タンブリンマンもスタジオミュージシャンの力が大きかったようです。

 続いてピート・シーガーの「ターン・ターン・ターン」を取り上げ2曲目のNO1ヒットになりますが、フォーク・ロックの全盛時は短く、早くもマッギンと並ぶフロントマンだったジーン・クラークが脱退します。

 1966~67年にかけてサンフランシスコ周辺からのピッピーカルチャーとサイケデリック・ロックが出現すると、バーズもその流れに乗りアルバム「霧の5次元」等を発表し方向転換します。その後、アルバム「昨日より若く」と「名うてのバード兄弟」を発表しますが、ここでデヴィッド・クロスビーも脱退。ここまでが、前半のバーズストーリーですね。

 ここからは、いよいよジーン・クラークとデヴィッド・クロスビーの代わりとして「グラム・パーソンズ」が入ったことで、またまた方向転換します。フォーク・ロック、サイケデリック・ロックに続き、全編カントリーとロックを融合させた歴史的なアルバム「ロデオの恋人」が1968年に発表されます。このアルバムは、商業的には成功しませんでしたが、ロック世代の若者が保守的なカントリーを演奏することは、画期的だったのだと思います(今改めて聴くと、前回触れたベイカーズフィールド・カントリーの影響大ですね)。

 しかしながら、グラム・パーソンズは、この1枚でバーズを去り、同じくカントリー、ブルーグラス畑のクリス・ヒルマンと「フライング・バリット・ブラザース」を結成したのは周知のとおりです。そしてフライング・バリットのファーストアルバム「黄金の城」もバーズのロデオの恋人と並び、カントリー・ロック黎明期の名盤と呼ばれています。

 ここでもう1枚イーグルス・カバーの回でも紹介しましたが、この時期のカントリー・ロックの名盤で忘れていけないのは、バーズを早々にやめたジーン・クラークと前回カリフォルニア・ブルーグラスでも登場した「ディラーズ」のバンジョーの名手ダグ・ディラードが手を組んだ「デラード&クラーク」の「幻想の旅」です。このアルバムには、バーニ・レドンも深く関わっているので私的には、カントリー・ロックであると同時に最初のブルーグラス・ロックアルバムでもあると認識しています。因みにダグ・ディラードが抜けた「ディラーズ」も数多くの名盤に顔を出しているバンジョーとハーモニーヴォーカルの名手「ハーブ・ペダースン」を迎えカントリー&ブルーグラスロック路線を歩むことになります。

 バーズに話を戻すと「ロデオの恋人」の後、グラム・パーソンズとクリス・ヒルマンも抜け、いよいよ存続が困難になったのを救ったのが、これまた前回登場した「ケンタッキー・カーネルズ」のクラレンス・ホワイトとその盟友でドラマーの「ジーン・パーソンズ」(グラム・パーソンズやジーン・クラークとは、全くの別人で、ドラムも叩けますが、ギターやバンジョーも弾けるマルチプレイヤー)とベースのスキップ・バッティンで、結果的にグラム・パーソンズとクリス・ヒルマンが抜けたものの、この時期のバーズは、クラレンスの超絶ギターと共に最高のカントリー・ロックのライブバンドとしての評価を得ることになります(ブルーグラスミュージシャン恐るべしですね)。

 後半のバーズは、これらのメンバーでロデオの恋人以降、「バーズ博士とハイド氏」「イージーライダーのバラード」「アンタイトルド」「バードマニアックス」「ファザー・アロング」と5枚のアルバムを発表します。

 一方のフライング・バリット・ブラザースですが、1枚目の「黄金の城」のあと2枚目の「バリット・デラックス」でこれまた前回登場したバーニー・レドンが参加するものの、グラム・パーソンズはここまでで脱退。代わりに3枚目からは、リック・ロバーツが入り今後が期待されましたが、今度はバーニー・レドンが、イーグルス結成のため脱退。4枚目のライヴでは、ブルーグラス畑のバイロン・バーライン(ディラード&クラークやローリング・ストーンズのアルバムにも参加したフィドラー)、ケニー・ワーツ(前回登場)、ケンタッキー・カーネルズからロジャー・ブッシュを迎え、ライヴのセットリストには、カントリー・ロックとカリフォルニア・ブルーグラスを取り入れたコンサートを展開しましたが、今度は、クリス・ヒルマンとアル・パーキンスがスティーヴン・スティルスと「マナサス」の結成のため脱退したため、オフィシャルには、このライヴが最後のアルバムになりました。

 因みにヨーロッパでは、幻の5枚目の二枚組のアルバム「ライヴ・イン・アムステルダム」が発売されてました。このアルバムは、唯一残ったリック・ロバーツと上記のブルーグラス畑のメンバーに加え、バンジョーの名手であるアラン・マンディも加わり(実際にはこのメンバーは、同時期に活躍し、ヨーロッパでも大変人気の高かったカントリー・ガゼットという画期的なブルーグラスバンドのメンバーと同一)、ブルーグラス比率が一層高まったアルバムになりました。

 こうしてみると、おそらく読んでいる方も混乱してしまうような目まぐるしさだと思いますが、書いている私も、この頃はまだ小学生。リアルタイムで聴いていたわけではなかったせいか、正直なところ「バーズ」や「フライング・バリット・ブラザース」の魅力が良く分かっていませんでしたが、今までの説明でお分かりのとおり1965年から1972年前後の解散まで、激動の6~7年の変遷と在籍したメンバー、或いは周辺のアーティスト一人一人に焦点を当てて聴いていくことで、初めて70年代のウェスト・コースト・ロック全盛期に与えた影響の大きさを理解することができるのだと思います。

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1965年バーズのファーストアルバム。この頃は、フォーク・ロック

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デヴィッド・クロスビーが抜け(馬になった?)ターニングポイントになった5枚目。

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ロデオの恋人とそれ以降から解散までのアルバム。

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後期バーズの傑作2枚組(ライヴとスタジオ録音)アルバム

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1969年フライング・バリットファースト

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バーニー・レドン参加のセカンドアルバム

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グラム・パーソンズが抜けてリック・ロバーツが入ったサード・アルバム

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オフィシャルには、最後のライヴ・アルバム。本格ブルーグラスも楽しめる。

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ヨーロッパのみで発売された、ヨーロッパ・ツアーのライヴ。リック・ロバーツ以外残っていないため、実質カントリー・ガゼットとの共演アルバム。

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カリフォルニア・ブルーグラスをヨーロッパにも広め、ヒットさせた画期的グループのファーストアルバム。

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ブルーグラス・ミュージックとクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングのハーモニーを実現させた大傑作アルバム。

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ハーブ・ペダーセンを迎えて、カントリー&ブルーグラスロック路線へと舵を切ったアルバム。

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ドラムを入れ、前作の路線をもう1歩進めたアルバム。

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