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アメリカン・ミュージック・ヒストリー第6章(1950年代全般・・・その5)


(6)日本の歌謡曲とロカビリー

 50年代は、歌謡曲では美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみの3人娘や島倉千恵子、男性は春日八郎、三橋美智也、三波春夫、村田英雄、フランク永井がヒット連発でしたが、エルヴィス登場によるロカビリーブームの影響は、日本をも巻き込み、1958年2月に第1回ウェスタンカーニバルが開催され、平尾昌章を初め、ミッキー・カーチス、山下敬二郎のロカビリー3人男の人気は頂点を迎えました。また、同年12月には第1回日本レコード大賞(水原弘・・黒い花びら)も始まる等、日本でも時代が変わろうとしているのがわかるようです。そして、翌年の1959年6月テレビ放送によるザ・ヒットパレードがスタートし、ザ・ピーナッツの「可愛い花、情熱の花」が大ヒットすると、いよいよ60年代アメリカン・ポップスカバー全盛時代へと突入していくことになります。

 
(7)ワールドミュージック

 1950年代のワールドミュージックに目を向けてみますと、キューバ出身のペレス・プラードによるメキシコ録音の「セレソローサ又は、チェリー・ピンク」が空前の大ヒットとなりマンボは世界的ブームにもなりました。
 ヨーロッパでは、1951年イタリアで第1回サンレモ音楽祭が開催され1955年からはユーロヴィジョン・ラジオでヨーロッパ各国に中継されるまでの規模になりました。因みに1958年には、それまでの甘くおとなしい歌を抑えてドメニコ・モドゥーニョの「ヴォラーレ」が優勝したことはイタリア・ポピュラー音楽にとって画期的な出来事で、かつてないレコードセールスと共にアメリカでも流行し第1回グラミー賞まで受賞したことは驚きですね。もう一つ、カンツォーネ、シャンソンと並ぶヨーロッパ大衆歌謡であるリスボンのファドについて触れておきたいと思います。19世紀前半からの歴史があるファドを世界的に有名にしたと言われているアマリア・ロドリゲスは、映画の中で歌った歌唱により1954年に世界的に認知され20世紀をとおしてポルトガルの至宝、ファドの代名詞となりました。       

 カンツォーネやシャンソンは、日本でもヒットした数多くの忘れられない名曲がたくさんある一方で、ファドは、日本ではこれと言ったヒット曲が思い浮かばないため知名度が低いように感じられますが、個人的には、ポルトガルギターが奏でる音や、メロディに何とも言えない哀愁と言うか、郷愁と言うかを感じてとても好きな大衆音楽です。


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美空ひばりが、晩年病院で唯一面会を許してたのが、妹分の彼女だったとのことです。そして島倉千代子の曲は、決して歌わなかったらしいです。私も年を取ってから、好きになりました

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今回紹介した歌手は、子供のころは良さがわからなかったけど、この人の曲は子供ながら心に沁みた気がします。

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和の、こまどり姉妹、洋の、ザ・ピーナッツ

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マンボの掛け声と言えば、アー、ウッ、誰がマンボにウッ!をつけた と吾妻光良さんが歌ってますね

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第1回グラミー賞が、カンツォーネとは、びっくりですよね

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サンレモは、60年代に全盛を迎えたような気がしますが、51年から始まっているんですね

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カンツォーネ、シャンソンに比べると、あまり目立ちませんが、ファドの哀愁味は、日本の歌謡曲に通じるものがありますね



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