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Favorite Music (Now&Then)【4】 ベイカーズフィールド・カントリー&カリフォルニア・ブルーグラス
別名「ナッシュビル・ウェスト」と呼ばれているベイカーズフィールドは、その名のとおり西のナッシュビル(カントリーのメッカ)で、ベイカーズフィールド・カントリーと言えば、「バック・オウエンズ」と「マール・ハガード」が特に有名です。
バック・オウエンズは、1930年代~40年代にテキサスやオクラホマ周辺の中西部で大人気となったウェスタン・スウィングや、ホンキー・トンク・カントリーを発展させ、1950年代後半以降、カリフォルニアに西海岸カントリー(ベイカーズフィールド・サウンド)を根付かせました。
カントリーチャート1位となった21曲を初め、数多くの大ヒット曲がありますが、ビートルズのリンゴ・スターがカバーした「アクト・ナチュラリー」やエミリー・ハリスの「トゥゲザー・アゲイン」は、聴いたことがあると思います。又マール・ハガードも「シング・ミー・バックホーム」等、いろいろなアーティストが多くの曲をカバーしていますし、カントリー・ロックの父と言われているグラム・パースンズも、マール・ハガードに大きな影響を受けていたようです。
グラム・パーソンズは、バーズに入る前に結成していた「インターナショナル・サブマリン・バンド」の唯一のアルバムでもマール・ハガードの曲を取り上げていますし、残念ながら実現しなかったものの、自らのソロアルバムのプロデュースも依頼したようです(当時マール・ハガードは、カントリーを長髪のヒッピーが演奏するのを、快く思っていなかったため断ったとも言われています)。
そして、もう一方のカントリーであるカリフォルニア・ブルーグラスについてです。そもそもブルーグラスは、1940年代後半にケンタッキー州出身のビル・モンローによって確立され1950年代に最初の全盛期を迎えましたが、カリフォルニアでは1960年代に入って、ローランドとクラレンスのホワイト・ブラザースを中心とした「ケンタッキー・カーネルズ」とダグ、ロドニー兄弟を中心とし、後にハーブ・ペダーセンも参加する「ディラーズ」、そしてクリス・ヒルマン、バーニー・レドン、ケニー・ワーツ、ビリー・マレー、ゴスディン兄弟等が、在籍したブルーグラスバンドの「スコッツヴィル・スクウィーレル・バーカーズ」や「ヒルメン」等によってカリフォルニア・ブルーグラスが形成されました。
しかしながら、折しも1964年以降のビートルズ旋風によりブルーグラス1本の音楽活動では経済的に苦しい時代が続き、こうしたミュージシャンが生活のためにロックも手掛けるようになっていきます。
このような背景の中、バーズとフライング・バリット・ブラザースを初めとして、さまざまなカントリー・ロックが登場してくるんですね。
ベイカーズフィールド・カントリーの創始者
グラム・パーソンズのアイドル❓
ヤング グラム・パーソンズ 右から二人目
1964年 画期的だったインストゥルメントアルバム
右からクラレンス・ホワイト、ロジャー・ブッシュ、ローランド・ホワイト
ディラーズの3イン1CD
左から クリス・ヒルマン、ケニー・ワーツ、ビリー・マレイ(後に隠れ名盤をリリースします)
左からクリス・ヒルマン、右二人は、解散後ジーン・クラークのファーストアルバムで共演するゴスディン兄弟