似ている年 1人でいる

デジャブを感じる時っていうのはよくある事だろうと思うけど、年数を比べてそう感じるのは少し珍しいのではないだろうか。こと、2020年以降…正確には21年から実感することが多い。どういうことかっていうと、過去を振り返った際、似ている年が存在するっていうことだ。21年の出来事が23年と似ていて、今年の24年
は22年とすごく良く似た1年に感じているという感じ。僕は創作活動をしているのだけど、それに対する考えというか向き合い方という視点で強く実感してしまう。

21のスタートから始まり、22年の育成…23年は少し目が出てきたか良い方向に進んでいって24年の今年は去年の育成…

偶然かも知れないけれど、21と23には「楽しい」、「無我夢中」という感情があったのに対して、22年と24年に関しては「しんどい…」「いつになったら花が咲くの?」なんて想いに駆られる日々が続いている。夜に散歩に出かけたり、はたまた夕暮れ時の時間帯に電車に乗っているとそんな感情に物思いに耽ってしまい、ふと近しい時が思い浮かんでしまうのだ。
あの時はなんて思っていたんだろう。今と昔とでは環境が違う、仕事だってそうだし正社員とフリーターでは大違いなのだ。でも、唯一変わらないのは好きな事を続けているという点だと思う。仕事も碌にしないでナニやってんだ、そんな思いはあるのだけど3年やってみて、「俺は一人でいた方がいい」と思ったし、全部自己責任だから他人に迷惑は最低限、かけずに済むのではないだろうか。
元々、一人でいる事はデフォルトな人生でもあったし部屋で読書をしたりゲームをしたりするのも楽しかった。だからまぁ、元に戻ったと思えば全然、傷つく事もない。昔と違うのは、一人でいる事に対して「惨め」に思わなくなったことだ。仲間…友達…そんな関係の人たちとの成長、なんて言葉は人生で何度も聞いた。そして、それが正しいという捉え方をしてしまって一人でコツコツとやるのは、効率というか成長しないとも思っていた。でも、それは人それぞれだと思う。仲間と切磋琢磨する…それは大いに結構。だけど、僕の場合は他人がいると、努力を放棄してしまう癖がある。多分、負かされるのが怖いんだと思う。必死に努力しているのに隣を見たら自分よりも上手くて強いっていうのが、悔しいから。だから他人と居る時は全然、成長をしようとしない。だって能力値に雲泥の差があればきっと比べる事もないし、こっちとしても諦めたり強く傷付くことはないから。

少し脱線したけど、かれこれもう4年は書き続けている創作活動…それは来年、どう変化変貌をするのか。僕は少しばかり期待しながら、いつも通り短編小説を書いていく。

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