【直前記述対策】2019年開成中国語解説
第一問問1(設問)
①「たんぼを荒らすカラスを見る目つき」とありますが、ここで茜は泰子おばさんのどのような気持ちを読み取っていますか。(一行)
設問の分析
設問 たんぼを荒らすカラスを見る目つき
①
設問要求の整理
①「たんぼを荒らすカラス」の比喩表現が何を指すのかを考える
解答手順
比喩の正体を正確に把握する。比喩内容を正確に記述するには、元の内容と比喩表現の共通項をきちんと押さえる必要がある。今回の問題では「たんぼを荒らすカラス」が茜たちのどういう部分を踏まえた比喩なのかを考えていく。すると、傍線①の直前には『「いただきます」のときは~』、傍線の一文後には「いつまでいる気だろうね。きちんと食費をもらってよね。」とある。「たんぼを荒らすカラス」に関しては餌を取りに来ていると考えるのが妥当だろう。したがってここでは、「食料を奪う」という部分を記述に盛り込めばよい。
その上で、泰子おばさんの心情を書く。冒頭には「ずっといていいんだよ」という歓迎ムードの泰子おばさんが描かれ、傍線部で態度が正反対になっている。そこで、ここではそのことを盛り込む。以上を踏まえて次のような解答となる。
(例)食料を奪い生活を圧迫する茜たちを疎み、早く出ていくことを願う気持ち。(三十五字)
第一問問2(設問)
②「生活なんか嫌いだ。茜はライフがしたい」とありますが、ここには茜のどのような気持ちが表れていますか(二行)
設問の分析
設問 生活なんか嫌いだ。茜はライフがしたい
① ②
設問要求の整理
Ⅰ①「生活」と②「ライフ」に込められるニュアンスの違いを押さえる
Ⅱ両者の違いから茜の気持ちを考える
解答手順
Ⅰ リード文を読むと、茜はいろいろなものを英語にすることで、自分の身の回りの色々なものが「別のものに見えてくる」と感じていると書かれている。そこで、茜が日本語と英語の両方で表している言葉をいくつか並べて、その使い分けについて考えていくと次のようになっている。
日本語 おばさん 村 家出
⇔ ⇔ ⇔
英語 アント ビレッジ ホーム・ゴー
ここで、茜が英語を用いているときは、それぞれ「アント(ありんこだ)」「ビレッジは嫌いだ」、「ただの冒険じゃなくホーム・ゴー」というように、感情(≒本音)が表れていることがわかる。茜があえて英語を用いるときは、現実とのギャップに対する気持ちが込められているわけだ。この点を押さえて「生活/ライフ」について考える。
Ⅱ 傍線②の前を見ると、「仕事が見つからないと家も探せないの。生活できないの。」という母の台詞がある。それに対して茜は生活でなくライフがしたいと述べている。母の言う「生活」とは「生きるすべとしての生活」で、茜はそんな「生活」ではなく幸せな「ライフ」がしたいと言っているわけである。そんな茜にとっての「ライフ」とは「都会での生き生きした」生活のことだろう。これらを踏まえつつ解答に仕上げる。
(例)退屈な上生きるためにみじめな思いをする田舎暮らしに耐えられず、以前のような都会で自由で楽しい生活を送りたいという気持ち。(六十字)
第一問問3(設問)
③「現実の光をまともにあてられたら、それはどれもこれも、役立たずのがらくたのおもちゃだった」とありますが、「夢と冒険」が「がらくたのおもちゃ」であるとはどういうことですか。説明しなさい。(二行)
設問の分析
設問 現実の光をまともにあてられたら、~がらくたのおもちゃだった
①
「夢と冒険」が「がらくたのおもちゃ」であるとは
②
設問要求の整理
①「現実の光をまともにあてられたら」とはどういうことか把握する
②「夢と冒険」が「がらくたのおもちゃ」になるという意味を押さえる
解答手順
まずは②から考える。「夢と冒険」が「がらくたのおもちゃ」であったという表現から、これはひとつのものが①をきっかけに違う見え方になったことを示していることが分かる。ここまでの文脈からその正体は「家出」であると考えてよいだろう。「家出」という茜にとって「夢と冒険」であった行為が、①「現実の光をまともにあてられた」ことをきっかけに「がらくたのおもちゃ」になったのだ。傍線を含む段落を読むと、ここにおける「現実の光」とは暗くなってともった街灯のことである。またそれは「現実という名前のその灯」と書かれていることから、「日が暮れることで突きつけられる現実」であることが分かる。傍線の次の行にもあるが、ここでの「突きつけられた現実」とは「家出はかなわない」ということである。
次に家出を思い立ったきっかけを押さえる。傍線②の直後に「大人は勝手だ。だから茜も勝手にやることにした。」とあることから、茜にとっての「家出」とは、周りの大人から自由になりたいという意味合いのものであることが分かる。これらを踏まえて解答に仕上げる。
(例)周囲の環境から自由になろうと選んだ家出だが、現実は一人で夜も明かせない茜にとって、それはできもしない子供の思いつきに過ぎなかったということ。(七十字)
第一問問4(設問)
④「ありがとう、海」とありますが、なぜ茜は海に感謝しているのですか。説明しなさい。(二行)
設問の分析
なし
設問要求の整理
本文全体を踏まえて主人公の変化を追いかける
解答手順
本文全体から「海に感謝を告げる」までの流れを把握する。茜は現実から逃避するために家出をしたものの、夕暮れと共に家に帰らなければならないという現実を叩きつけられていた。しかし帰ろうと思ったとき、一人の男性に出会い、ブルーシートでできた家に泊めてもらうことになり、家出が継続できた。「海」を見たのはその夜に目が覚めた場面である。茜は満月のあかりで一本の細い道のような月の光ができている海を見つめて、「そうだ。明日はまた新しい道を歩いてみよう。もっと遠くへ行ってみよう。」「ぜんぜん怖くなかった。」「茜の体に新しい何かを注ぎこんでくれる気がした。」とあることから、前向きな気持ちになっていることが分かる。ここで、月が出た海を見つめる前後の気気持ちを並べると次のようになる。
(前)夕方には怖くなって帰るだろうと思っていた
⇔ 月を見る
(後)もっと遠くへ行ってみよう
あきらめそうになっていた家出が成功した夜に、これから先へと続くような月明かりが映る海を見たことで、茜はもっとやれるのではないかという自信をもらったというのが大体の解答の方針である。これらをまとめていく。
(例)あきらめかけた家出が成功した夜に海に道のように伸びる月の光を見たとき、もっと遠くに行ってみようという勇気や自信を与えてもらった気がしたから。(七十字)
第二問問2(設問)
①「それが、エチオピアにいるときは、まるで違っていた」とありますが、筆者がそのように言うのはエチオピアでの生活がどのようなものだったからですか。説明しなさい。(二行)
設問の分析
設問 それが、エチオピアにいるときは、まるで違っていた
① ②
筆者がそのように言うのはエチオピアでの生活がどのようなものだったからですか
③
設問要求の整理
①指示内容を明らかにする
②「まったく違っていた」の「違い」を把握する
③「エチオピアでの生活」における②の様子を探す
解答手順
まずは①の指示内容を確認する。傍線部の一文前を見ると、「それ」は「自分はあまり感情的にならない人間だと思っていた」という部分であることが分かる。次に②「まったく違っていた」の部分の解釈をする。自分では「全く感情的でないと思っていた」のに、実際は「まったく違った」わけなので、ここは「思っていた以上に感情的であった」と考えればよいだろう。では、どういう点で「意外と感情的であった」のか。
筆者が「意外と感情的であった」と考えるに至ったエチオピアでのエピソードは傍線①の字段落から書かれていう。三~八段落に具体的なエピソードが書かれ、その後、九段落で「毎日が喜怒哀楽に満ちた時間だった。」とまとめている。「意外と感情的であった」と気づいたのはこの、「毎日が喜怒哀楽に満ちていた」からであると考えればよいだろう。あとは三~八段落の共通点拾って喜怒哀楽な暮らしとなったきっかけとすればよい。これらの段落に書かれているのは「人との関わり合い」である。つまり、筆者は「人との濃密な関わり合いの毎日で喜怒哀楽に満ちた暮らしになった」わけである。ただし、これだけでは指定文字数(具体的な指定はないが目安として一行三十五字程度)を考えると情報が足りない。三~八段落に関わりの具体例として書かれている内容が恩恵と問題であるため、そのことに触れるとよいかもしれない。以上を踏まえて解答にする。
(例)エチオピアでの生活は物事がすんなり運ばず、暮らしの全てが良くも悪くも人との関わりの中にあって、毎日が喜怒哀楽に満ちたものであったから。(六十七字)
※因みに解答中「生活は物事がすんなり運ばず」は、問3の設問にも関係するが、傍線②を含む一文にある「つねに心に波風が立たず、一定の振幅におさまるように保たれている」という日本の特徴から、傍線①の直後にあった言葉が対比関係になることから用いた。
第二問問3(設問)
②「逆カルチャーショックを受けた」とはどういうことですか。説明しなさい。ただし、カルチャーショックとは、自分とは異なる文化に接したときに受ける精神的衝撃のことを言います。(二行)
設問の分析
設問 逆カルチャーショックを受けた
①
設問要求の整理
①「逆」のニュアンスを確認する
解答手順
解答の方針としては、設問でカルチャーショックの意味を押さえた上で傍線に含まれない目的語を明確にして、「〈逆〉カルチャーショック」という表現の意図を追えばよい。
まずは何に対して「逆カルチャーショックを受けた」のかを明らかにしていく。傍線②の前を見ると「その洗練された仕組みの数々に」と書かれているので、これが「逆カルチャーショックを受けた」ものであることが分かる。「その洗練された仕組み」とは、日本にある「人との関わりの中で生じる厄介で面倒なことが注意深く取り除かれ、できるだけストレスを感じないで済むシステム」(傍線②二段落前)であり、「つねに心に波風が立たず、一定の振幅におさまるように保たれている」(傍線②の段落)ことである。これらに対して筆者は「逆カルチャーショックを受けた」のである。
次に「逆カルチャーショック」という言葉の意図を把握していく。設問によれば本来のカルチャーショックとは「自分とは異なる文化に接したときに受ける精神的衝撃のこと」で、筆者にとっては「日本人がエチオピアに行ったことで感じる衝撃」のはずである。ここではあえて「逆」とついていることから、ここでは「エチオピアに住み慣れた筆者が日本に帰国した時に受けた衝撃」のことを指すことが分かる。そしてそれは、「人との関わりの中で生じる厄介で面倒なことが注意深く取り除かれ、できるだけストレスを感じないで済むシステム」(傍線②二段落前)であり、「つねに心に波風が立たず、一定の振幅におさまるように保たれている」(傍線②の段落)である。これらを七十字程度にまとめていけばよい。
(例)物事がすんなり運ばないのが当然のエチオピアでの生活に慣れた筆者にとって、日本のあまりに洗練された仕組みの数々は逆に衝撃的であったということ。(七十字)
第二問問4(設問)
③「ひとりテレビを観ながら浮かぶ『笑い』」を「『感情』と呼ぶにはほど遠い」と表現しているのは何故だと考えられますか。(二行)
設問の分析
ひとりテレビを観ながら浮かぶ『笑い』」を「『感情』と呼ぶにはほど遠い」
① ②
と表現しているのは何故だと考えられますか
③
設問要求の整理
①「ひとりテレビを観ながら浮かぶ『笑い』」とはどういうものか
②「『感情』と呼ぶにはほど遠い」とはどういうことか
③「考えられるか」という出題意図を汲む
解答手順
この問題では③の出題形式が通常と異なることに注目する。今回は「なぜだと考えられますか」という質問から、本文内容から考えられる妥当な推論を求められていることがわかる。そのため、絶対の模範解答というよりは、妥当性の高いと考えられる解答を導く。
その上で①「ひとりテレビを観ながら浮かぶ『笑い』」の説明を追うと、直前の文に、「~お笑い番組も、無理に笑うという『反応』を強いられているように思えた」とあることから、①テレビを観ながらの笑いは、作り手に作られた笑いと考えればよいだろう。
次に、②「『感情』と呼ぶにはほど遠い」の意味を考えるわけだが、それは傍線③の直後の文に「薄っぺらで、すぐに跡形もなく消えてしまう軽いものだった」と書かれているので、これを参考にすればよい。
ここで、筆者はテレビを見ながら浮かぶ「笑い」と「感情」を明確に分けていることに注目する。ここの対比構造を適切に押さえる必要がある。仮に「テレビ番組的な笑い」と「日本的な感情とすると、次のような対比構造が見つけられる。
日本的な 笑い(感情) 作られたもの 薄っぺらで、すぐに消えてしまう軽いもの
⇔ ⇔ ⇔
( a )的な 感情 ( b )で( c )もの
本文を踏まえて右のa~cの内容を検討すればそれぞれa(エチオピア)、b(自然に生じるもの)、c(深く根ざし消えないもの)となる。これらから③「考えられる」ことをまとめて解答に仕上げる。
(例)エチオピアの人との関わりの中で自然と生まれる感情と違い、日本のテレビで感じた笑いは他者によって誘発させられた表面的な感情のように思えたから。(七十字)