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AIに私を一言で表すと?って聞いたら夢想家って言われた件

一本取られたよ。


最近、Xに「Grok」という生成AI機能が実装されたようだ。
皆が次々にGrokで質問をしてツイートしていた。
「私はどんな人が紹介して」
「このアカウントについて説明して」

過去のツイートなどをもとにAIに分析して貰えるのかなーと興味を持ったので、僕もやってみた。

Q: 私を一言で表すと?
A: 夢想家

夢想家:実現できそうもないことばかり考える人。

goo辞書

おい。


スピってる?

丁度心当たりがあったのが、Youtube「八木仁平の自己理解チャンネル」に投稿されている一本の動画であった。
(このチャンネル、かれこれ1年半以上見続けているのだけど、ここ最近自分にぶっ刺さる回が立て続いているのは偶然なのだろうか…)

この動画では、心理学も勉強しているという志願者に対し、心理の知識であるがために、現実の問題を全て心の問題によるものだと解釈してしまっていないかと指摘が入れられている。

心の問題全て解決すれば現実全て変わるみたいな
何かそういう幻想に行きがちなんですよね
いや違うんですよ!
心と体があって人間
心だけだったらいいんだけど肉体あるからさ
心だけにいった人のことをよく揶揄する言葉として
「スピってる」みたいな
スピリチュアルに傾倒しすぎている
ふわふわしてて現実何も動かない

でも世の中にはいっぱい問題が起きてるじゃないですか
その中で自分がそれを1人の当事者として解決していくし
自分の問題もどんどんそうやって突破していくんだっていうのを
やってほしいんですよね

知識を盾にワガモノ顔で意見する相談者に八木仁平ブチギレ
https://www.youtube.com/watch?v=PhpGJQPfMvw

そして、価値観を大切にすることについての弊害についても触れられている。
価値観は抽象的なものであるため、具体的な行動をしてリスクを取ることから逃げる口実にもなってしまうのだという。

価値観は大事だけど
逃げの手段にもなっちゃうのよ
だから僕は今実現手段のところで
具体的に何したいの?っていうところ
こっちが圧倒的に足りないから
具体的なステップは何なんですか?っていう
そこで多くの人はこれ宣言したがらないんですよね
逃げれる余地をつくりたいから
リスクがあるんですよ

知識を盾にワガモノ顔で意見する相談者に八木仁平ブチギレ
https://www.youtube.com/watch?v=PhpGJQPfMvw

これを聞いて、めっちゃ自分のことだと思った。


何もしていない

6~7年前の就活期から、自己理解はずっと続けてきた。
おかげさまで、自分の大事にする価値観はかなり鮮明になり、ミッション・ビジョン・バリュー・クレドに落とし込むこともした。

自己理解や自己分析という分野については色々やってきたと思う。
上記動画の八木仁平さんの自己理解の無料コンテンツもやったし、
キャリア支援のワークシートのサブスクリプションも契約して色々やってもいる。一昔前は、自分の憲法をつくるといったこともした。
これらは、どれも例外なく、今の僕にとってとても意味のある大事なことであったと言える。

ただ、じゃあ具体的に何行動してきましたか?っていったら、特に何もやっていないのだ。

転職をするわけでも、スクールに通うわけでも、創作活動をして作品を発表するわけでもなく、週5日みっちり労働して、会社で必要な最低限の勉強だけして、あとはYoutubeなどの無料コンテンツに時間を溶かす。こんな生活を何年続けたというのだろう。

自分の理想の未来を実現するために、どんな目標を持つのか。
具体的に明日何をするか。どんな行動を取るのか。
そこに落とし込めていない自己理解は、まさに「夢想家」の所業に過ぎないのである。


3年後の理想の姿をイメージしてくださいとか苦手

理想を実現するには、以下の3ステップがあると思う。

  1. ビジョンを描く

  2. 具体的な目標、行動を計画する

  3. 決めたことを淡々とやる

僕は、1も3もできるのだが、2が極端に弱い。
自分の思い描いたビジョンを、現実と接続させるのが苦手である。

だから、例えば、よくいう「3年後の理想の姿をイメージしてください」みたいなのも結構キツい。
ふわふわしてて何も言ってないみたいな感じになるか、今の延長線上でこじんまりするかのどちらかになってしまう。

あと、「結局何をやるのか」もはっきりしない。
そうすると努力の矛先が分からないから、くすぶってしまうのである。

逆に、四の五の言わず目の前のことを一生懸命頑張る、はできてしまう。
だが、その延長線上に本当の理想の未来は訪れないのである。


仮決めして動く、をやろうと今していること

なので今年は、そんな自分を変えようと、何か具体的なアクションを起こそうとしている。
その試みの一つが、「note記事をいっぱい書く」である。

僕は、年初に「表現者になりたい」との気づきを得て、中でも、「言葉を使った仕事がしたい」という気持ちが芽生えている。

それでどう食っていけるのかはまだ全然分かっていないけれど、文章を書くことを仕事にするならばポートフォリオが必要であろうし、場数を踏んで経験を積むことが必要だろうし、自分の文章を市場にぶつけて反応を伺うことも必要だろう。

例え一銭にもならなくたって、得るものは大きいはずだ。

今年始まって早1ヶ月だが、僕が今年書いた投稿はこれで8本目である。
ちなみに、ここ数年の”年間”のnote投稿本数は以下の通りだ。

2024年:5本
2023年:1本
2022年:6本
2021年:7本

かなりいい調子だと思う。
(ちなみに、これより前、大学生で時間が有り余っていた時代は、もっと全然高頻度で書いていたのだが、それも超えてしまおうと思う。)

夢想家だとしても、夢想したことをどんどん記事に書いていけばいいと思う。そこに共感が集まるかもしれないではないか。

2025年、書くことも、それ以外でも、足を使って歩く動くをしていくので乞うご期待。

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