ワインを買う人は結局何を買っているのか
ドリルを売るなら穴を売れ、という言葉がある。
ドリルを買う人は別にドリルそれ自体がほしいんじゃなくて、ドリルで開けられる穴がほしくてドリルを買うんだよ(顧客のほしいものを勘違いせずにマーケティングをしようね)という話である。
さて、ここにワインという困難な趣味趣向品がある。
1本1kgほどして(気軽に買って持ち帰れない)
1本3000円ほどすることがザラで(もっともっと高いものもある)
よくわからない決まりごとが多くて(A.O.Cもだけど使用ブドウ品種は一律でラベルに書いてほしいよね)
保管が微妙に難しく(気温が20度を超える時期は冷蔵庫に入れましょう)
やれマリアージュだ、適温だ、合ったグラスで飲めと言われる。
そんなワインを無理に友人知人に飲んでほしいとは思わなくて、でも自分はワインばかり飲んでいて、つい人にその話をしたくなる。
私みたいワインを買って飲みたがる人は、ワインに何を期待しているんだろう?
実用品と嗜好品を同じ物差しで話すのは少し無理かがあるかもしれないが、少し例を出して考えてみよう。
例えば私は水タバコをシーシャカフェに吸いに行く時「椅子からじっと動かない時間」を買っている。
ぷかぷか美味しい煙を吸っているとだんだん身体が酸欠気味になって、やがて椅子から立ち上がれなくなり、思考のスピードが落ちて目が座ってくる。
こうなるとスマホでゲームはできないし、Twitterもだんだん飽きてきて、仕方なく積んだKindle本を読み始めることになる。
身体と意識がしゃんとしているとこうはいかない。非常に捗るのだ。
さて、話を戻して、私はワインを通じて何を買っているのか。
今日、家で開けたのはカリフォルニアの SUNSET SELLARS の ”Cat or Tiger" 2019年で、開けたきっかけは一緒に住んでいる人が「ワインを通販で買ったからセラーに空きをつくらないと」と食卓に持ってきたことだった。
戸棚からグラスを2つ出してきて、注いで「美味しいなぁ、意外と渋くないな」「しかし度数が高いな」と感想を言いながらほくほく飲む。
一通り話したらお互いグラスを持って自分のデスクに引きこもり、時々リビングに戻って補充する。酔ってもできる作業をしたり、文章を書いたり、ラジオを聞いたりする間ちまちまとワインを飲む。
酔うからだんだん難しい作業はできなくなって、お笑いの動画を見たりする。
ただの晩酌酔っ払いだな。
ただ、サッポロ黒ラベルを飲むとこうはいかない。
日本の大量生産されたピルスナーに求めるのはいつものあの味・あの喉越しだから、わざわざ「美味しいなぁ、意外と渋くないな」なんて言って会話が生まれたりはしないのだ。
ワインはいろんな生産者がいろんなプロダクトを少量ずつ売っており、年によって葡萄の出来も異なっている。有名生産者だからといって毎年同じクオリティのワインができるとは限らない。
ワインに「これを買えば安心して美味しく酔える」という安定感がまるでないのだ。
ワインは「一本飲むのしんどいくらい味が濃い」とか「すっぱすぎる」「値段の割に美味しくない」リスクと常にともにある。
そのリスクを取って飲んだワインが美味しかったとき、おなじものを飲んでいる人との会話が弾んでいく。
ワインを買うのは映画を見るのと少し似ているのかもしれない。
前評判もそこそこの映画を2〜3時間かけて見て、全然楽しめない経験もあれば、その逆もある。
入場料とかけた時間の分、確実に楽しめることを映画は決して保証してくれないけれど面白かったとき(興味深かったとき)の感動はひとしおで、同じ映画を見た人と話したくなる。
映画を見るたびに、私達は毎回ちょっとしたクジを引いているのだ。
映画とはまた違ったペースで、また違った場所で、私はクジを引いている。
コンビニで手軽に確実に酔える缶ビールに見向きもせず、夜な夜な楽天でワインを物色する人は、無意識のうちにカジュアルな不確かさを買っているのかもしれない。
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